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寒四郎(かんしろう)

「寒四郎」(かんしろう)とは、
「寒の入り」から4日目のことで、
今年、令和7(2025)年の「寒四郎」は、
1月8日[水曜日]になります。
 
この日は「麦作」の豊凶を占う日とされており
晴れなら「豊作」なら「凶作」
されました。
 
 
その日の天候で
その年の収穫を占う習わしがあります。
彼岸太郎ひがんたろう八専次郎はっせんじろう土用三郎どようさぶろう寒四郎かんしろう
と言って、
彼岸の一日目(彼岸太郎)、
八専の二日目(八専次郎)、
土用の三日目(土用三郎)、
そして寒の入りから四日目(寒四郎)に
れるとその年は「豊作」
なら「凶作」とされました。
 
 

寒太郎(かんたろう)

「寒の入り」である
小寒」の日のことを擬人化して、
「寒太郎」(かんたろう)と呼ぶ地域が
一部あります。
 
長男なら太郎、次男なら次郎、三男なら三郎、
以下、四郎、五郎、六郎・・・というように、
男の子の兄弟の長幼の序列(=出生順)を表した兄弟など、男の子の生まれ順に由来する
男性の名前のことを
「輩行名」(はいこうめい)と言います。
 
「太」には「最も上」という意味ですので、
太郎は「最も初めに生まれた男子」です。
次郎は「太郎に次ぐ生まれの男子」、
三郎以降は、数字がそのまま付いています。
因みに十一男以降は、
十一郎、十二郎、十三郎、・・・あるいは
余一郎、余二郎、余三郎、・・・です。
また同じ音の漢字を使って、
与一郎、与二郎、与三郎、・・・と
書かれることもあります。
 
また「○太郎、○次郎、・・・」といった風に、
その前に1文字をつけたり、2文字をつける例も
あります。
 
これら太郎、次郎といった名乗りの始まりは、
第52代・嵯峨天皇(786-842)が
第一皇子以下に対して、太郎、次郎、三郎といった幼名を授けたことに由来します。
それが時代を経るにつれ、武士階級、町人階級
問わず広く用いられるようになりました。
 
この「輩行名」(はいこうめい)から転じて
「寒の季節の初日」を「寒太郎」(かんたろう)
呼ぶようになったようです。
 
 
因みに童謡の『北風小僧の寒太郎』は、
『みんなのうた』の楽曲としては
最も再放送が多い曲『北風小僧の寒太郎』は、
昭和49(1974)年12月に堺正章さんの歌で
登場しました。
当初は、東京都の実写風景をバックに
アニメの寒太郎を合成していましたが、
昭和52(1977)年頃からは全編アニメとなり、
堺正章さん、北島三郎さんなどが歌ったものが
放映され続けています。
また、小学校の音楽の教科書にも
何度か掲載されました。
 

寒九(かんく)

 
更に「寒の入り」から9日目は
「寒九」(かんく)と言います。
「寒九」は「寒四郎」とは逆で、
雨が降るとそれは「恵みの雨」と考えられて、
「豊作」になると言われています。

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