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7月25日は「かき氷の日」

 
 

かき氷の日

 
7月25日は「かき氷の日」です。
日本かき氷協会」が制定しました。
 
日本の食文化の一つ「かき氷」の文化を守り、
氷業界・かき氷飲食店舗などの
「かき氷」に関わる業種との繋がりを深め、
「かき氷」の素晴らしさを広めることを目的に、
この日には、かき氷を扱う飲食店や
かき氷に関する様々な企業が
キャンペーンなどを実施しています。
 
 
「かき氷の日」を7月25日に制定したのは、
「7」「2」「5」が
かき氷のかつての名前
「夏氷」(な [7] つ [2] ご [5] おり)の
語呂合わせと
この日に日本の最高気温が記録されたことに
因んでいます。
 
 

kakigoori.or.jp

 
夏氷(なつごおり)
 
古代、冬場に池などに出来た
天然の氷を切り出し、
それを外気より冷たく涼しく保たれている
洞窟や穴の中に溶けないように
保管していました。
この天然氷を貯蔵した場所(施設)を
「氷室」(ひむろ)と言います。
 
 
『日本書紀』には、仁徳天皇御代に、
額田大中津彦皇子ぬかたのおおなかつひこのおうじ
闘鶏国つげのくに (現在の奈良県天理市福住町) に
狩りに出かけられた時に
山中で岩穴(氷室)を見つけ、
この氷室にあった氷を持ち帰り、
天皇に奉ったと記されています。
 
 
その後、奈良県天理市などには
「氷室」が作られ、
冬の間に天然の氷を切り出して保存し、
夏になると氷を切り出して都に運ばせ、
宮中で「暑気払い」を行ったと言われています。
 
 
そしてこの氷を小刀で削った「削氷」に
糖蜜汁を加えた「氷水(かき氷)」を
冬の氷に対して、
「夏氷」(なつごおり)と言いました。
 
 

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最高気温記念日
昭和8(1933)年のこの日、
フェーン現象により
山形県山形市の気温が
当時の日本最高気温40.8℃を記録しました。
この記録は長らく
日本の最高記温記録となっていましたが、
平成19(2007)年8月16日に
熊谷市と多治見市で40.9℃を観測し、
74年ぶりに記録が更新されました。
 
その後、全国の21地点で史上最高気温更新した
平成30(2018)年7月23日に、
埼玉県熊谷市41.1度を記録。
また、令和2(2020)年8月17日午後12時10分頃、静岡県浜松市中区の観測点で41.1度に到達し、
熊谷市の歴代最高気温記録に並び、
現在の日本歴代最高気温になりました。
 
 

japaneserecords.org

 

「かき氷」の歴史

けづりひ(削り氷)
 
「かき氷」の原型は
日本の「氷水」(こおりみず)であることは
間違いありません。
平安中期成立の『延喜式』には、
上記の「氷室」が10ヶ所も記載されていて、
夏になると、平安貴族の間では、
氷を削った「削り氷」に
糖蜜汁をかけた「氷水」が食されたようです。
 
 
清少納言の『枕草子』にも
「けづりひ (削り氷) 」という名で登場します。
ここで清少納言は、
「細かく削ったかき氷に甘い蜜をかけた物」を
大変雅びやかで上品だと書き記しています。
 
「あてなるもの。
 (中略)削り氷にあまづら入れて、
 新しき金椀に入れたる。」
 
 「上品なもの。
  削った氷にあまづら(甘味料)かけて、
  新しい金属製のお椀に入れたもの。」
 
横浜・馬車道「氷水店」
 
大変に貴重だった氷も、
幕末から明治にかけて
中川喜兵衛が函館の天然氷を輸送し、
東京での販売に成功したことをきっかけに、
氷が一般に出回るようになりました。
 
早くも明治2(1869)年には、
「咸臨丸」で米国に渡り、日本人として初めて
アイスクリーム食べた一人と言われている
町田房蔵が横浜・馬車道で
日本初の「氷水店」が開店しています。
 

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氷旗(こおりばた)
 
「氷店」の目印で、鮮やかに「氷」と染抜かれた
「氷旗」(こおりばた)も夏の風物詩として、
定着しています。
 
 
「氷旗」は、元々、衛生検査に合格した業者の
営業許可証として掲げるものでした。
当初販売されていた氷の中には、
伝染病の原因となる不衛生な品質のものもあり、
問題になっていたためです。
明治11(1878)年12月4日、当時の内務省は、
「氷製造人並販売人取締規則」を発令し、
氷販売者や氷水店に対し衛生検査を実施し、
検査に合格した販売者は、
氷の産地を表記した旗を掲げることが
義務付けられたのです。
 
 
当初は「氷」の文字と「産地」を
表示しただけの旗が大半でしたが、
中川嘉兵衛が「氷」の文字に
龍が舞う図柄をデザインした「氷旗」を掲げて
天然氷を販売していたことから、
波しぶきの上を波千鳥が飛んでいる背景に、
大きな赤い文字で「氷」と染め抜かれた
「氷旗」が一般的なデザインになりました。
 
「氷削機」の発明
 
明治20(1887)年には、氷商の村上半三郎が
手回しハンドルがついた
「氷削機」(ひょうさくき)を発明し特許を取り、
現在の「かき氷」が生まれました。
 
 
『明治事物起源』によると、
明治24(1891)年8月の神田小川町の氷店では
氷水 (こおりみず) の他、氷あられ、氷蜜柑水、
レモン水、氷白玉、薄茶氷、氷しるこなど
様々なメニューがあったようです。
『風俗画報』明治31(1898)年8月10日号には、
竿を担ぎ、「ぶっかき氷〜」と上げながら
売り歩く「氷売」が掲載されています。
 
 
「かき氷」が全国的なものになるのは、
昭和初期になり改良型の氷削機が普及して
からです。
 
 
第二次世界大戦前に人気の「かき氷」は、
削った氷に砂糖をふりかけた「雪」、
砂糖蜜をかけた「みぞれ」、
小豆餡をのせた「金時」の3種類。
戦後になると、苺やレモン風味の
かき氷専用シロップが登場し、
シロップの種類によりそれぞれ
「氷イチゴ」「氷レモン」「氷あずき」などと
呼ばれています。
なお「みぞれ」「金時」は今でもありますが、
「雪」は姿を消しました。
 
そして現在、食の多様化により、
リキュール類や果物、アイスクリームなどを
盛り合わせたものも出ており、
「かき氷」は夏に欠かせない氷菓です。
 

「氷菓」と「アイスクリーム類」の違い

「アイスクリーム」は、生食品衛法に基づく
「乳及び乳製品の成分規格に関する省令」と「食品、添加物等の規格基準」の
2つの法律によって、
「氷菓」「アイスクリーム」「アイスミルク」
「ラクトアイス」に分けられています。
 
アイスクリーム類
<アイスクリーム>
  
 乳固形分15%以上、うち乳脂肪分8%以上で、
 乳固形分と乳脂肪分が最も多く含まれている
 規格。
 ミルクの風味が豊かに感じられます。
 植物性油脂を添加することは出来ません。
 
<アイスミルク>
  
 乳固形分10%以上、うち乳脂肪分3%以上で、
 牛乳と同じくらいの乳成分を含んでいます。
 植物性油脂が使われることもあります。
 
<ラクトアイス>
  
 乳固形分3%以上で、
 乳固形分は「アイスミルク」より更に少なく、
 冷たくあっさりとした風味が感じられます。
 植物性油脂が使われることもあります。
 
氷菓(ひょうか)
 
「氷菓」(ひょうか)は、
アイスキャンディ、アイスクリーム、
シャーベット、ソフトクリームなど、
夏の氷菓子の総称です。
 
先の2つの法律によれば、
「氷菓」は、乳固形分3.0%未満のもので、
乳固形分はほとんど含んでいない
果汁などを凍らせたアイスキャンディーやシャーベットなどです。
果汁を加えた砂糖水を
スティック状の棒を芯に円形棒状に凍らせた
サッパリした味の
「アイスキャンデー」が代表的で、
色・形とも多彩にあります。
第二次世界大戦後の
甘いものの乏しかった時代に、
割り箸を芯に砂糖水を凍らせただけの
「アイスキャンディ」は
庶民の贅沢な楽しみでした。
 
 
今では、果汁の他にも
ミルク、小豆、果物を入れたりと種類は多彩。
季節を問わず親しまれてはいますが、
やはり舌先でヒンヤリと溶ける食感は
夏のものですね。