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7月26日「幽霊の日」

 
7月26日は「幽霊の日」です。
文政8(1825)年のこの日、
四代目・鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』が
江戸・中村座で初演されたことに由来して
います。
 
 

『東海道四谷怪談』

 
『東海道四谷怪談(通称『四谷怪談』)』は、江戸の町に実際に起こった事件をモデルに、
四代目・鶴屋南北が脚色して作品化したもの
です。
 
『四谷怪談』は、夫と愛人に毒を盛られた
女性「お岩」が自ら命を落とし、
強い恨みを抱いた怨霊になるという物語です。
 
    
 
開演当初は、既に根強い人気があった
『仮名手本忠臣蔵』とセットで
上演されることが多かったのですが、
『四谷怪談』の評判が高まるにつれ、
次第に『東海道四谷怪談』のみで
上演されるようになりました。
 
 
怪談の定番となり、
鶴屋南北の歌舞伎だけでなく、
三遊亭圓朝の落語も有名となり、
また映画化もされていて、
様々なバージョンがあります。
 
 

日本の幽霊のイメージ

 
昔から日本の幽霊と言えば、
白装束を身に着けた姿が
ぼんやりとしていて、
両手を胸元あたりでくねっと曲げ、
足がなく、「うらめしや」と言う
といったイメージが根強くあります。
 
幽霊に足がないのは?
実は、幽霊に足がない理由も
『四谷怪談』に関係しているという
説もあります。
 
 
『四谷怪談』を演じることになった
歌舞伎役者の尾上松緑は、
怖さを感じさせる演出を考たところで出たのが
幽霊の足をなくすというアイデアでした。
観客から「怖い」と評判になりました。
 
 
もう一人の日本の幽霊の足をなくした「犯人」は
江戸時代に活躍した絵師の丸山応挙という説もあります。
  
幽霊画の依頼を受けた応挙が
夢枕に亡くなった妻の姿を描いたものが
「足のない幽霊」だったと言われています。
人気のある応挙が描いたことで、
「足のない幽霊」が一気に広まっていたと
考えられています。
 

日本最初の幽霊

日本最初の幽霊は、
『日本書紀』雄略天皇9年7月1日の条に
記されたものとされています。
河内国の田邊史伯孫(たなべのふひとはくそん)
夜に応神天皇陵近くを馬に乗って通りかかると
赤毛の馬に乗った謎の人物に出会いました。
その馬が余りに立派であったことから、
伯孫は自分の馬と交換しを申し出たところ、
了承してもらえたことから、
伯孫は喜んで赤毛の馬を連れ帰りました。
 
ところが翌朝、赤毛の馬を見てみると
埴輪の馬に変わっていました。
驚いた伯孫が応神天皇陵に来てみると、
埴輪の間に自分の馬がいました。
そこで、伯孫は昨夜の人物は
幽霊だったということに気づいたという
話です。
 
この記述の中では、伯孫が幽霊に
恐怖を感じたとは書かれていません。
「幽霊」というと、
恐怖の対象と考えがちですが、
当時の「幽霊」は
必ずしもそうではなかったようです。
 
 
また『今昔物語集』には、
『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとも
言われる源融(みなもとのとおる)が死後、
幽霊となって、昔住んでいた自分の屋敷に現れ
宇多上皇に一喝される話があります。
これも怖い話ではありません。
 
 
一方、同じ『今昔物語集』の中には、
応天門の変で失脚した伴善男(とものよしお)
死後、赤い衣を着て冠を被った姿の幽霊として現れ、疫病を流行させたと書かれています。
この幽霊は恐怖の対象です。
 
幽霊を怖いと感じるようになった背景には、
おそらく「怨霊」の存在があります。
「怨霊」とは非業の死を遂げた結果、
怨念をたたえた「死霊」であり、
祟りをなすと考えられていました。