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節分

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「節分」とは雑節の一つで、
各季節の始まりの日の前日のことです。
 
 

節分とは

季節の節目である
「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日のことを言い、
年に4回あります。
 
旧暦では、春から新しい年が始まったため、
「立春」の前日の「節分」(令和5年は2月3日)は、
「大晦日」に相当する大事な日でした。
そのため、「節分」と言えばこの日を指すようになりました。
 
年の終わり、そして冬から春へと季節が変わる節目に
邪気や悪いものを落として、
新しい年に幸運を呼び込むことを目的に、
「節分」の日には、日本各地で様々な行事が行われてきました。
 
 
 

節分の歴史

節分の夜に厄を払う儀式は奈良時代にChinaから伝わりました。
『続日本紀』によると、文武天皇の慶雲3年(607年)に
疫病を鎮めるために行われたのが初出とされています。
 
その後平安時代の宮中では、年中行事として
大晦日に陰陽師らによって旧年の厄や災難を祓い清める
「追儺」(ついな)の行事が行われるようになりました。
 
宮中で鬼(疫鬼や疫神)を払う儀式「追儺」(ついな)では、
陰陽師が祭文(さいもん)を読み上げ、
方相氏(ほうそうし)という役人が四つ目の恐ろしい面を着けて、厄鬼を追い払う役をしました。
盾を持ち、矛を打ち鳴らして大きな声を上げました。
これに、桃の弓と葦の矢を持った役人達が従い、
矢を放ち、鬼が嫌う桃の杖を地面に打ちつけて
鬼を追い払いました。
この儀式はその後廃れましたが、
今も京都の平安神宮では、
毎年節分に平安時代の儀式を再現して行われています。
 
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現在のように豆撒きが行われるようになったのは、
宇多天皇の時代とされています。
鞍馬山の鬼が都に出没した時、
鬼の目(魔目)に豆を投げつけて退治した故事に由来するそうです。
最初は「豆撒き」ではなく「豆打ち」と言われました。
 

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豆を撒く際に「鬼は外、福は内」と唱えるようになったのは、
いつからでしょうか。
『臥雲日件録』(1447年成立)という本に
「唱鬼外福内」と記されているので、これが始まりとされています。
豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展し、
民間にも定着していきました。
 

 
今では炒った大豆を撒きますが、
昔は五穀全て(稲・麦・粟・稗・豆)を撒いていました。
五穀には生命力があり、
それ故、魔除けの魔力を持つと考えられたためです。
 
豆も、「魔」(ま)を「滅」(め)するに音が通じるため、
音魂(おとだま)としての豆の力を用いて
「鬼は外」「福は内」などと唱和することで、
魔を滅するとされています。
 
生ではなく煎った大豆を使うのは、
生の豆を外に撒くと、そこから芽を出すことがあり、
縁起が悪いためです。
ですから、外に撒いた豆は、
白い紙に包んで、塩を振って浄めてから捨てましょう。
 

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節分祭

京都では、この時期、
表鬼門に当たる「吉田神社」と
裏鬼門に当たる「壬生寺」(みぶでら)の節分祭が殊に有名で、
「厄除節分会」の期間中は大勢の人でごった返します。
 
  • 住 所:〒606-8311
        京都市左京区吉田神楽岡町30番地
  • 電 話:075-771-3788
  • 拝観料:無料
  • ご祈祷受付時間:午前9時~午後5時まで
 
  • 住 所:〒604-8821
        京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町31
  • 電 話:075-841-3381
  • 拝観料:境内は自由
        壬生塚、歴史資料室(200円)
  • ご祈祷受付時間:午前9時~午後4時半まで
 
 

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