「白露」(はくろ) は、
草木に降りた露が白く輝いて見える時季です。
令和7(2025)年は9月7日から9月22日になります。
『暦便覧』
今から234年前の天明7(1787)年に
太 玄斎(たい げんさい)が著した暦の解説書
『暦便覧』(こよみびんらん) には、
「陰気やうやく重りて、
露凝りて白色となれば也」
露凝りて白色となれば也」
このように記されています。
陰気 (涼しさ) が増えて陽気 (暑さ) を上回り、
水蒸気が結露して「露」になり、
草の葉の上で白く輝いているという
意味でしょうか。
「白露」(はくろ)とは

昼夜の気温差が大きくなるこの時季は、
空気中の水蒸気が
夜間の放射冷却によって冷やされ、
地表近くの草木や岩などに触れて凝縮して、
「雫」(しずく) =「露」となります。
この朝の光により白く輝く露のことを
「白露」と表現して、愛でてきました。
なお「露」がつく二十四節気には、
「秋分」を挟んで
「白露」(はくろ) と「寒露」(かんろ) があります。
残暑が徐々に収まり、朝晩は涼しくなって
露が出来始めるのが「白露」(はくろ) で、
その露が更によく見られるようになり、
一層冷たくなる頃が「寒露」(かんろ) です。
美しくて儚い「露」
「露」は、朝日が昇ると
たちまち儚く消えてしまうので、
人の世の儚さの喩えとして使われてきました。
脆く儚い命を「露の命」、
無常の世を「露の世」と言います。
また朝の光にキラキラと輝く
「露」の美しさは、
花や宝石にたとえられることも多く、
「露華」(ろか)「露珠」(ろじゅ)「玉露」(ぎょくろ)
などがあります。
月の雫(つきのしずく)
「露」は、
別名「月の雫」とも呼ばれています。
朝、降りている「露」を、
月が夜の間にこぼした涙の雫に
見立てたのでしょう。
この「白露」の時期は、
湿度が徐々に低くなり空が澄んでくるため、
空気が澄んで、一年で一番、
月が美しく見える季節です。
秋の七草
「秋の七草」は、萩 (はぎ) 、
尾花 (おばな)=ススキ、葛花 (くずばな)、
撫子 (なでしこ)、女郎花 (おみなえし)、
藤袴 (ふじばかな)、桔梗 (ききょう)と、
山野に自生するものが多く、
「白露」の頃に咲き始めます。
これらの花は、歌人・山上憶良が
『万葉集』で詠んだ2首の和歌に由来すると
言われています。
「秋の野に 咲きたる花を 指折り
かき数ふれば 七種の花」と1つ目の歌で、
秋の野に咲いている草花を指折り数えると
7種類あるとして、
「萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花
また藤袴 朝貌の花」と2つ目の歌で
「それは萩の花、尾花、葛の花、撫子の花、
女郎花また藤袴、朝貌 (あさがお) の花であると
述べています。
「朝貌」(あさがお) については諸説ありますが、
現在では「桔梗」(ききょう) が定説です。
重陽の節句
古代Chinaでは、
奇数は縁起の良い「陽」の日とされ、
中でも一番大きい陽の数である「9」が重なる
9月9日を「重陽」と呼んで、
菊の香りを移した菊酒を飲み、
健康や長寿を祝っていたとされています。
平安時代初期に日本に伝わり、
当時は宮中行事のひとつとして、
「重陽の節会」が執り行われていました。
またこの頃は、秋の収穫期に当たるため、
農村でも収穫祭として祝われ、
「栗の節句」「刈り上げ節供」と呼ばれていたとされています。
江戸時代には幕府により「祝日」となり、
庶民の間にも菊酒が広まり、
栗ご飯を炊いてお祝いしたり、
菊の品評会を行ったりもしました。
但し、明治になり新暦が採用されてからは、
季節感がズレてしまったことや、
農繁期の多忙な時期であることなどを理由に、
「重陽の節句」は次第に廃れていきました。
農家の三大厄日
「八朔」(はっさく)・「二百十日」(にひゃくとおか)・
「二百二十日」(にひゃくはつか) の3日は、
「嵐の来襲する確率の高い日 (荒日)」として、
「農家の三大厄日」とされ
昔から農作祈願や風鎮め (かぜしずめ) の祭りが
行われてきました。
雑節「二百二十日」
「二百二十日」(にひゃくはつか) は、
「立春」を起算日として220日目に当たり、
令和7(2025)年は9月10日です。
この頃は台風到来の時期で、
農家の「三大厄日」とされてきました。
八朔(はっさく)

「朔」は「ついたち (一日)」のことで、
旧暦八月一日を指し、八月朔日を略して
「八朔」(はっさく) と言います。
令和7(2025)年は9月22日になります。
この時期は、台風被害や害虫・鳥の被害を
受けることも多くなるため、
本格的な収穫を前に収穫の無事を祈念して、
田の実りをお供えするという意味を込めて、
「田の実の節句」という行事を行いました。
この「田の実」が「頼み」に通じることから、
やがて、日頃頼むところ、つまり、
世話になっている主人、師匠などのある人が
贈り物をする風習が始まりました。
その庶民から広まった風習が、
やがて武士や公卿などにまで浸透しました。
更に家康の江戸入府が
天正18(1590)年8月1日であったことから、
江戸城内では「八朔御祝儀」の行事が行われ、
白帷子に身を固めた諸侯が登城し、
祝辞を申し述べたそうです。
この「八朔に白装束」は
吉原の遊女の風習にもなりました。
京都花街では現在でも、芸妓や舞妓が
お茶屋の女将さんへ挨拶回りする
「頼み」の伝統風習が行なわれています。
放生会(ほうじょうえ)
「放生会」(ほうじょうえ) とは、
捕らえられた魚鳥など生物を
生きたまま池や野に放ち、
肉食や殺生を戒める仏教行事です。
海の幸、山の幸、五穀豊穣に感謝し、
精進するための秋祭りです。
国民の祝日「敬老の日」

昭和29(1954)年に制定された
国民の祝日の一つで、
「多年にわたり社会につくしてきた老人を
敬愛し、長寿を祝う」日で、
毎年9月の第3月曜日に設定されています。
令和7(2025)年は9月15日です。
国民の祝日に制定された当初の
「敬老の日」は9月15日でしたが、
平成13(2001)年の
「ハッピーマンデー制度」の施行に伴い、
「9月の第3月曜日」に移行し、
元々敬老の日があった9月15日を「老人の日」、
9月15日を含む1週間を「老人週間」として
「老人福祉法」が改正されました。
仲秋

「処暑」から数えて15日目頃、
この日から「仲秋」になります。
「太陰暦」では、
1月~3月を「春」、4月~6月を「夏」、
7月~9月を「秋」、10月~12月を「冬」としていました。
「太陰暦」では、7月・8月・9月の3か月は「秋」になります。
7月は「孟秋」(もうしゅう)、
8月は「仲秋」(ちゅうしゅう)、
9月は「季秋」(きしゅう)と言います。
8月は秋の真ん中にあることから、
概ね旧暦の8月の1カ月間全体を
「仲秋」と称しています。
「二十四節気」で言うと、
「白露」から「寒露」の間になります。
「仲秋」が旧暦8月の1か月間の期間を
指すのに対して、
「中秋」は「旧暦8月15日」
その日1日だけを指します。
二十四節気「白露」の七十二候
初候「草露白」
(くさのつゆしろし)

草の露が白く輝いて見える頃。
次候「鶺鴒鳴」
(せきれいなく)

セキレイが鳴く頃。
セキレイは日本神話にも登場する鳥で、
男女の神が結ばれるきっかけを
教えたという話から、
「恋教え鳥」とも呼ばれています。
末候「玄鳥去」
(つばめさる)

春にやってきたツバメが、
子育てを終え南へ帰っていく頃。
来春までしばしのお別れです。
