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秋の夕焼け(あきのゆうやけ)

 
 

秋の夕焼け

単に「夕焼け」と言えば、
「夏」の夕焼けを指します。
「夕焼け」 は夏が最も鮮やかで大きいからです。
と言う訳で「夕焼け」は本来は夏の季語です。
 
一方「秋の夕焼け」は、
夏の夕焼けの強烈な色、暑さとは違って、
どこか寂しさを伴なうものです。
 
「秋の夕焼け」は黄金色
 
「夏の夕焼け」は、赤が強く、
茜色に染まることが多いのですが、
秋が深まるにつれて、色が淡くなって、
黄金色の夕焼けになります。
 
そもそもなぜ夕焼けの空は
赤いのか?
晴れた日の昼間は
気持ちの良い青空が広がりますが、
日没が近づくと、
西の空は真っ赤な夕焼けに染まります。
なぜ朝や夕方には赤色に染まって見える
のでしょうか。
 
太陽の光は、人間の目には見えませんが、
複数の色が含まれています。
それぞれの色は異なる波長を持っていて、
波長が長い順に」「」「」「」「」「」「の7色に分けられます。
これら太陽から届く可視光線は、
全ての波長が重なると、ほぼ「白」になります。
 
太陽光が大気層に突入してくると、
大気中の空気分子や様々な微粒子群によって
散乱されます。
短い波長ほど大気中に多く散乱され、
波長の長い光は散乱を受けにくいため、
大気中への広がりは少なくなります。
 
なお微粒子が無ければ散乱は発生しないため、
殆ど真空の宇宙空間や月面では、
太陽光は散乱されないため、
真昼であっても真っ暗にしか見えません。
 
 
晴天真昼の場合は、
太陽光が通過する大気層中の距離が短いので、
波長の長い」「の散乱量は少なく、
波長の短いが散乱し、
更に散乱された光は周辺の微粒子により
何度も散乱が繰り返されて、空一杯に広がり、
く染まって見えることになります。
 
 
なおよりも波長の短い」「の光は
上空の高い所で散乱・吸収されるため、
平地では人間の目まで届きません。
 
一方、日の出や日没時は太陽の高度が低く、
光が空気の層を斜めから差し込むため、
大気の中を通る距離が昼間より長くなります。
すると、波長の短い系の光は
昼間よりも更に散乱され続け、
地表に到達した時には、
残り僅かの状態になってしまいます。
それに対して、波長の長くて散乱しにくい
」「の光が届いて目立つようになります。
これが朝焼けや夕焼けが赤く見える理由です。
ただ、空全体に広がるまでには至りません。
 
ではなぜ、夏と秋冬では
夕焼けの色が違うのか?
 
では夏の夕焼けと秋の夕焼けでは
見え方が変わるのでしょうか。
これはまず、空気中に含まれる
「水蒸気の量」が関係しています。
 
 
空気中の水蒸気が多いと、
波長の短い光が散乱してしまうことから、
波長の長いの光が散乱されずに
目に届きやすくなります。
 
 
それに対して秋から冬にかけては、
湿度が低く空気が澄んでいることから
に比べて波長が短い」「の光も
散乱されずに届きやすくなります。
そのため、」「」「黄金色の夕焼けを
見ることが出来るのです。
 
また秋冬は水蒸気が少なくなるのと同時に
塵や埃も舞いにくくなり、
光が四方八方に飛び散ることないために、
」「の光が残ったまま日が沈むため
見ることが出来るのです。
 

秋の暮れ(あきのくれ)

「秋の暮れ」(あきのくれ) という季語があります。
秋の一日の夕暮れという意味と、
秋という季節の終わりという意味があります。
 但し、秋季の終わりの場合は、
 「暮の秋」(くれのあき) と言って
 区別する場合もあります。
 
古来より二つの意味で使われてきましたが、
この二つの意味が渾然一体となっていることもあります。
 
秋の情趣は「夕暮れ」にこそ深まるものとされ
「秋の夕暮れ」(あきのくれ) という季語は、
もののあわれの極みを感じさせるものとして、
古来多くの詩歌に親しまれてきました。
 
秋は夕暮れ
 
清少納言は『枕草子』の中で、
「春はあけぼの」「夏は夜」「冬は早朝」、
そして「秋は夕暮れ」が素晴らしいと
言っています。
 
 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと
 近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、
 三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへ
 あはれなり。
 まいて、雁などの連ねたるが、
 いと小さく見ゆるは、いとをかし。
 日入り果てて、風の音、虫の音など、
 はた言ふべきにあらず。
 
-現代語訳-
秋は、夕暮れ。夕日がさして、
今にも山の稜線に沈もうという頃、
烏がねぐらに帰ろうと三つ四つ二つ
三つなど思い思いに急ぐのさえ、
しみじみと心に沁みる。
まして、雁などが列を連ねて渡って
いくのが遥か遠くに小さく見えるのは、
なかなかに面白い。
すっかり日が落ちてしまって、風の音、
虫の音などが様々に奏でるのは、
もう言葉に尽くせない。
『枕草子 ビギナーズ・クラシックス
日本の古典』角川書店
 
三夕(さんせき)
 
「三夕」(さんせき) とは、
『新古今和歌集』に所収されている、
「秋の夕暮れ」を結びとした3首の名歌です。
 
 
1. 寂連法師
 寂しさはその色としもなかりけり
 槙立つ山の秋の夕暮れ
 
寂しさというのは色によるものではないのだ。
山には常緑樹である槙が立ち並んでいるが、
秋の夕暮れはやはり寂しいものよ。
 
 
2. 西行法師
 心なき身にもあはれはしられけり
 鴫 (しぎ) 立つ沢の秋の夕暮

 世を捨てて出家したはずの我が身にも、
 人生の無常が身にしみる。
 秋の夕暮れ時、鴫が羽音を残して飛び立った
 後の静けさよ。
 
 
 
3. 藤原定家
 見渡せば 花も紅葉もなかりけり
 浦の苫屋の秋の夕暮れ

 見渡すと春の桜も秋の紅葉も何もない。
 ただ寂れた、苫葺きの小屋があるだけの
 秋の夕暮れよ。
 

釣瓶落とし(つるべおとし)

秋の日の暮れやすいことを
秋の日は釣瓶落とし」と言います。

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童謡「夕焼け小焼け」

大正8(1919)年に中村雨虹 (うこう) が作詞し、
大正12(1923)年に草川信 (しん) が作曲し、
大正12(1923)年に7月、文化楽社から
文化楽譜『あたらしい童謡』として
発表された童謡としては
最も広く親しまれている作品の一つで、
全国各地に数多く歌碑が建てられている、
まさに日本人の心の原風景とも言えるかも
しれませんね。

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