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秋葉の火まつり

 
火伏の神様として知られる秋葉神社の総本宮・
「秋葉山本宮秋葉神社」では、
「秋葉の火まつり」が行われます。
火災は勿論、水難や疫病除けも祈願する
幻想的な火祭りです。
 
 

秋葉の火まつり


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静岡県の秋葉山の山頂付近にある
秋葉山本宮秋葉神社あきはさんほんぐうあきはじんじゃ」は
火伏(ひぶせ)の神様として古くから有名で、
日本全国に約800社ある秋葉神社の総本宮です。
 
 
祭神は火の神である「火之迦具土大神ひのかぐつちのおおみかみ」で、
江戸後期に出版された『東海道名所図会』には、
「第一に火災焼亡の危急を免れ、
 第二に洪水波没の難を免れ、
 第三に諸厄諸病の難を免れ給う」と記載され、
火防だけでなく、厄除開運、家内安全、
商売繁盛などの御利益があると言われています。
 
そんな秋葉神社で最も重要な祭りが
12月15、16日に行われる
「秋葉の火まつり」と呼ばれる例大祭です。
 

火の用心

 
次第に寒さが増し、ストーブなどの暖房器具が
活躍する季節となりました。
但し、冬は空気が乾燥して風も強いため、
大火事になることが多いです。
「火の用心」を徹底することが肝要です。
 
<火の用心7つのポイント>
① 家のまわりに燃えやすいものを置かない。
② 寝タバコやタバコの投げ捨てをしない。
③ 天ぷらを揚げる時は、その場を離れない。
④ 風の強い時は、焚火をしない。
⑤ 子供には、マッチやライターで遊ばせない。
⑥ 電気器具は正しく使い、タコ足配線はしない。
⑦ ストーブには、燃えやすいものを近づけない。
 
火の番
 
木造住宅の密集する江戸の町では、
幾度も大火事が起こり、多くの犠牲が出ました。
そこで幕府では、どうにか火事を防ごうと、
寛永年間(1624‐44)に
「表火之番」と「奥火之番」を与力・同心で組織し、
城内の火の元を警戒させました。
また同時期、本格的な消防組織として
「大名火消」が小大名16家によって編成され、
交代で火消役を出しました。
また幕府は町民にも「火の番」を励行。
「寒柝」(かんたく)と呼ばれる樫の拍子木を打って
町内を巡回しました。
慶安元(1648)年に出されたお触れの中に、
次のようなものがあります。
町中の者は交代で夜番すべし。
月行事はときどき夜番を見回るべし。
店子たちは各々火の用心を厳重にすべし。
 
現在も、自治会や青年団、小中学生などが
奉仕的に交代で行う地域もあります。
寒い夜などには消防車が鐘を鳴らして走り、
注意を呼び掛けたりしているのも、
昔の「火の番」の名残りなのでしょう。
火の用心
 
お馴染みの「火の用心」という言葉は、
江戸時代中期から夜の見回りで
盛んに使うようになったそうです。
 
そもそも「火の用心」という言葉を
最初に使ったのは、徳川家康の家臣であった
本多作左衛門重次だという説があります。
 
 
本多作左衛門重次は、「小牧・長久手の戦い」(「長篠の戦い」という説もある)の折、
戦場から国元の妻に
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」 とかいた手紙を送りました。
「お仙」は、重次が40歳を過ぎた時に生まれた
大事な跡取り息子、仙千代のことです。
また当時、馬は戦には欠かせないものであったため、時には人の命より大事にしていました。
 
 
因みにこの時の「お仙」は後に、
現在の福井県丸岡町にある
北陸唯一の現存十二天守のひとつである
「霞ヶ城」こと「丸岡城」の城主になりました。
丸岡城」の一画には、
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
の石碑「一筆啓上石碑」が建っています。
丸岡町ではこの碑文にあやかって、
平成5(1993)年に、「日本一短い母への手紙」を
公募して話題となりました。
 
 

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<参考>火廼要慎(ひのようじん)

 

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