「二百十日」(にひゃくとおか)は
雑節のひとつです。
2月4日頃の「立春」から数えて
210日目の日で毎年9月1日頃に当たります。
令和6(2024)年も8月31日になります。
古来、台風襲来の時期で稲の開花期に当たり、
「農家の厄日」として注意を促すため、
暦に記載されています。
台風がやってくる時期
「二百十日」の頃(毎年9月1日頃)になると、
夏の高気圧が次第に勢力を弱めますが、
海水温はまだまだ高いため、
過去にも何度となく、
勢力の強い「台風」が日本を襲って来ました。
「台風」の発生数や上陸数はともに、
8月に次いで9月が多く、
更に9月以降の「台風」は、
本州付近に停滞する「秋雨前線」を刺激して
大雨になることがあるので注意が必要です。
暦注に採用
一方で、この「二百十日」の頃は、
稲が開花する重要な時期に当たります。
ところが、前述の通り、
農作物に甚大な影響を与える
台風に見舞われることが多いため、
農家にとっては油断のならないこの日を
「農家の三大厄日」として
戒めるようになりました。
この「二百十日」が一般に広まったのは、
暦学者・安井春海 (後の渋川春海) の手による
「貞享暦」の貞享三年暦から
記載するようになったためと言われています。
「貞享暦」でも当初は記載していませんでした。
渋川春海が釣りに出かけたところ、
漁夫から
「50年来の体験によると、
210日目の今日は
大暴風雨になる可能性が高いから
舟を出すのはやめた方が良い」
という話を聞いて、観察・確認した上で
暦注として採用したものと言われています。
別の言い伝えもあります。
暦に載ったのは、
明暦2(1656)年の「伊勢暦」が最初でしたが、
「貞享暦」には記載されていなかったので、
伊勢地方 (三重県) にいたある船長が
「八十八夜を過ぎて天気始めて温、海路和融す。
二百十日前後、必ず大風有り。
暦は民用に便なるを以て先となす」と、
奉行所に訴え出て、強く復活を求めたことから、
暦注として採用されることになったというもの
です。
「二百十日」は、農家だけでなく、
漁師にとっても出漁出来るかどうかと共に、
生死に関わる問題でもあったのです。
貞享3(1868)年以前の寛永11(1634)年にも
安田茂兵衛尉重次 (もへいのじょうしげつぐ) が著した『全流舟軍之巻』(ぜんりゅうしゅうぐんのまき) にも、
「野分と云ふ風の事。
是は二百十日前後七日の内に吹くもの也」と
記載されています。
漁師らが暦に大風の特異日を入れるように
要求したのは当然と言えますし、
稲作とともに漁撈 (ぎょろう) が
日本の最重要な産業だったことや、
当時の経済に海路による物流が
極めて重要だったことも認識させられる
エピソードです。
野分(のわけ)
「野分」(のわき、のわけ)とは、
「二百十日」の頃に吹く風のことで、
台風の古称でもあり、
『源氏物語』第28帖の題名でもあります。
近代の小説では、
夏目漱石の『二百十日』があり、
宮沢賢治の『風の又三郎』では
9月1日に転校してきた謎の少年の
あだ名になっています。
二百十日の風習
こうしたことから、
農家では「風鎮祭」や「風祭り」を行って、
育てている農作物が被害を受けないように
祈願したようです。
「風日待」(かざひまち) といって
農作業を休んで、集落や村落で集まって
飲食をすることもあもありました。
「風篭り」とか「風止め籠り」などと称して
村の神社に篭って祈願をすることもあった
ようです。
また「鎌」は、風の力を衰えさせると
信じられていたため、
屋根の上や軒先に鎌を取り付けたり、
竹竿の先に鎌を付けて立てたりする風習も
ありました。
おわら風の盆
旧暦8月1日の「八朔」(はっさく)
「二百十日」「二百二十日」は
「農家の三大厄日」とされています。
現在のように台風の予測が出来なかった時代、
人々はこの日を恐れて警戒し、
風を鎮める祭りを行って
収穫の無事を祈るようになりました。
富山県富山市では「おわら風の盆」などが
催されてきました。
富山市南西部の山あいの町、越中八尾で
300年余踊り継がれてきた
「越中おわら風の盆」は、
風を鎮める豊年祈願と盆踊りが融合し、
娯楽のひとつとして愛しまれてきたお祭りです。
格子戸の民家、土蔵など、
昔の面影を残す街並みに
数千のぼんぼりが立ち並び、
哀愁を帯びた三味線、胡弓の音色が響き、
編み笠を被った無言の踊り手達が
洗練された踊りを披露します。
艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、
哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが
来訪者を魅了します。
その唄と踊りは叙情豊かで気品高く、
哀調の中に優雅な趣を有しています。
防災の日
9月1日と言えば、「防災の日」であることも
忘れてはいけません。
「防災の日」は、9月1日に発生した
「関東大震災」を契機としていますが、
他にも、
「二百十日」で台風シーズンを迎えること、
昭和34(1959)年9月26日の「伊勢湾台風」で
戦後最大の被害を被ったことも契機となり、
地震や風水害等に対する心構えなどを
育成するために制定されました。
なお大正12(1923)年9月1日午前11時58分に
発生した「関東大震災」の時にも、
風の影響で火災が広がったそうです。
昭和35(1960)年9月1日発行の官報資料には、
「防災の日」制定の主旨が記されています。
政府、地方公共団体など関係諸機関はもとより、
広く国民の一人一人が台風、高潮、津波、地震などの災害について、認識を深め、これに対処する心がまえを準備しようというのが、『防災の日』創設のねらいである。
もちろん、災害に対しては、常日ごろから注意を怠らず、万全の準備を整えていなければならないのであるが、災害の発生を未然に防止し、あるいは被害を最小限に止めるには、どうすればよいかということを、みんなが各人の持場で、家庭で、職場で考え、そのための活動をする日を作ろうということで、毎年9月1日を『防災の日』とすることになったのである。
昭和57(1982)年からは、
9月1日の「防災の日」を含む一週間を
「防災週間」に定めて、
各関係機関が緊密な協力関係のもとに、
防災思想普及のための行事や訓練などが
行われています。
因みに、『広辞苑』に
「防災」という語が載せられたのは、
昭和44(1969)年5月の第二版第一刷からで、
昭和30(1950)年5月に発刊された初版本には載っていません。