「お盆」とは、仏教における
「盂蘭盆会」(うらぼんえ) の略で、
サンスクリット語の「ウランバーナ」に
漢字を充てたものであるとするのが通説です。
ウランバーナ (ullambana)
「盂蘭盆」の語は、サンスクリット語の
ウランバーナ (ullambana) に由来し、
「倒懸」(とうけん) を意味すると
言われてきました。
これは7世紀半ばの唐代の僧・玄応 (げんのう) が
著した『一切経音義』(いっさいきょうおんぎ) の中で
「正しくは『烏藍婆拏』(うらんばな) という。
この訳は『倒懸』という」と述べたことに
基づいています。
倒懸(とうけん)とは?
「倒懸」とは、「逆さ吊り」あるいは
「逆に吊りされるような苦しみ」を意味します。
仏教において、生前に悪行を為した人間が
行くと言われている三つの転生先
「三悪趣」(さんあくしゅ)、具体的には、
地獄界・餓鬼界・畜生界においては、
亡者の苦しみは、
生きた人間が逆さ吊りにされるくらいに
辛いものであることを表す言葉です。
地獄に落され、逆さ吊りにされて
責め苦を与えられているような
罪人の魂をも含む全ての死者の魂を供養して、
救済へ祈る祭典という意味で
「盂蘭盆会」という言葉が用いられるように
なったというのです。
倒懸の苦から
釈迦の弟子である目連尊者 (もくれんそんじゃ) が、
飢餓道に落ちて、倒懸の苦を受けていた
母親の霊を救おうとお釈迦様に相談したところ
「百味の飲食 (おんじき) を供え、
十万の衆僧の力を借り、
7月15日に供養しなさい」と言われたという
仏教説話に由来します。
その通りに手厚く供養したところ、
母親は極楽浄土へと行くことが出来たと
言われます。
ここから、苦しみを受けている
死者を供養するという風習
「盂蘭盆会」が生まれたとされています。
そして目連が踊り上がって喜んだのが、
「盆踊り」の始まりとも言われます。
盂蘭盆経
『盂蘭盆経』(うらぼんきょう) には、
釈迦の弟子である目連尊者 (もくれんそんじゃ) が、
亡き母を飢餓道の苦しみから救い出すという
話が説かれています。
仏教の開祖・お釈迦様の十大弟子の一人に、
目連(もくれん/マウドガリヤーヤナ/モッガラーナ)と
いうお弟子さんがいました。
十大弟子(じゅうだいでし)
お釈迦様の代表的な10人のお弟子のこと
- 舎利弗(しゃりほつ) :智慧第一
- 目 連(もくれん) :神通第一
- 大迦葉(だいかしょう):頭陀第一
- 須菩提(しゅぼだい) :解空第一
- 富楼那(ふるな) :説法第一
- 迦旃延(かせんねん) :論義第一
- 阿那律(あなりつ) :天眼第一
- 優波離(うぱり) :持律第一
- 羅睺羅(らごら) :密行第一
- 阿 難(あなん) :多聞第一
「神通第一」と言われる強力な神通力を持ち、
その能力を使って、
亡くなった母親の様子を見てみました。
すると、何と目連の母親は
「餓鬼道」に落ちているではありませんか!
「餓鬼道」というのは、
欲の深い人が行くところで、
食べるもの飲むもの全てが火となり、
食べたいものも食べられず、
飲みたいものも飲めず、
ガリガリに痩せ細って飢えと渇きに苦しむ
世界です。
目連の母親は、子(目連尊者)を溺愛するあまり、
周囲の不幸に無関心だったことが原因で、
「餓鬼道」に落ちていたのです。
飲食することが出来ない母親は、
身体は骨と皮ばかりになっていました。
これを悲しんだ目連は鉢に飯を盛って
往餉り (おくり) ました。
母は鉢を左で持ち、右手で食べようとしても、
口に飯を入れようとすると炎と炭になり、
食べることが出来ませんでした。
「餓鬼道」で苦しんでいるお母さんを
何とか助けてあげたいと思って、
お釈迦様に始終を話して救いを求めます。
すると、次のようにおっしゃいました。
「そなたの母親の罪は深いので、
一人の力ではどうにもならない。
あなたは親孝行の声で
天地を動かすことは出来ても、
天神、地神、邪魔外道、道士、四天王神は
どうすることも出来ません。
しかし、多くの衆僧の威神の力を借りれば、
母を救うことが出来るでしょう。
私はあなたのために救いの方を説き、
一切の苦難から離れ、罪障を消し除くことに
します。・・・
旧暦7月15日の「僧自恣 (そうじし) の時」に
僧侶達を招き、供物を捧げて供養するならば、
現在の父母、七世の父母や六親眷属の人々は
地獄・飢餓・畜生という
三悪道の苦から脱することが出来、
時に応じて悟りを得て、
衣食は自然と得ることが出来ます。
もしまた人がいて、
その父母が現在するのであれば、
自恣の供養によって福楽は百年となります。
もし既に亡くなった七世の父母であれば、
天の世界に生まれて、自在に生まれ変わり、
天華の光に包まれて無量の快楽を受けます。」
その時、目連や比丘、及びこの法会に集まった大菩薩衆達は、みな大いに歓喜しました。
しかし、目連は悲しみ涙を流していましたが、
突然に疑いや憂いが除かれ滅しました。
そしてこの時、目連の母は、長い間に渡る
餓鬼の苦しみから脱することが出来たのです。
僧自恣 (そうじし) の時とは、仏教における
雨安居(夏安居)の最終日である
旧暦7月15日に行われる、
僧侶が自身の行いを反省し懺悔する儀式の
ことです。


