
「お盆」は、
あの世から家族の元へ帰ってくる
御先祖の霊を迎える一方で、
今を生きている親達の御魂を寿ぐ行事
という一面もあり、
みんなで集える幸せに感謝する日でも
ありました。
吉事盆
新しく迎える新仏 (あらぼとけ) もなく、
一族の誰一人欠けることなく迎える「お盆」は
何よりもめでたいことでした。
それは「吉事盆」と呼ばれ、
むしろそれが「お盆」としてのあるべき形でも
あったのです。
生身玉(魂)
「生身 (玉) 魂」とは、生者の霊魂のことです。
親が健在で迎える「お盆」は
とりわけめでたいもので、
盆中の7月15日やその前後の期日に、
嫁いだ娘や家を出た者達が実家へと帰り、
亡くなった先祖の精霊に近しい存在でもある、健在の父母や親類に魚を贈ったり、
長寿を祝って祝いの宴が開かれたと言います。
魚を贈るために、わざわざ魚を獲りに
盆の間に漁に出掛けることもありました。
なお生魚の内では、
「刺鯖」(さしさば) が最も人気が高く、
他には、鰤やコノシロの塩漬けや干物も
ありました。
藤原定家の日記『明月記』の
天福元(1233)年7月14日の条に記載があり、
鎌倉時代初期まで遡る古くから行われてきた
習俗であったようです。
生身魂(玉)への贈答品
「お盆」には、異郷に出ている者達が
先祖祭りのために帰郷します。
それぞれ贈答を伴いますが、
贈答品は、その家で一生懸命に作られるのが
原則でした。
刺鯖(さしさば)
「生身玉」(いきみたま) の酒宴には
「刺鯖」がつきものでした。
『東都歳時記』(1838) には
「中元御祝儀、荷飯、刺鯖を時食とす。
(中略)良賎生身魂の祝ひ」と記され、
『東都遊覧年中行事』(1851) には
「貴賤佳節を祝ふ、生身魂とて現存の父母へ
魚るいを祝ふ」とあり、
江戸時代には「刺鯖」で祝う習慣が
広く祝われていたようです。
なお「刺鯖」は、『本朝食鑑』によれば、
鯖の鱗と内臓を取り除いて背開きにし、
塩をして乾燥させて作るもので、
一尾の鯖のエラの間に
もう一尾の頭を差し入れて、
二尾の鯖を重ねたものを一刺として、
「刺鯖」(さしさば) と呼んでいました。
どうして「鯖」かというと、
仏教で食事の時、餓鬼や畜生、無縁仏などの
ために取り分けておく飯を
「生飯」(さば) と呼ぶので、
その発音に引っ掛けて、
魚の「鯖」を用いたということのようです。
鯖は古来、日本で賞味されてきた魚です。
高級魚という扱いではなかったようですが、
鎌倉初期の『古事談』には
「鰯には良薬なりといえども公家に共せず。
鯖はいやしき物なりといえども
供御 (くご) に備ふ」とありますから、
「いやしき」魚であっても青魚のEPAやDHAが
健康に良いことは経験で分かっていたようです。
また塩干品で保存性の高い食品だったため、
この時季でも贈り物として利用することが
可能だったのでしょう。
昭和に入ると次第に忘れられ、
いつしか「刺鯖」が作られることも
ほとんど無くなりました。
荷の飯(はすのめし)
「荷の飯」(はすのめし) は、
もち米を蒸した白いおこわを、
蓮の葉で包んだもので、
その上に「刺鯖」を載せたものです。
これを「生身魂(玉)」へのもてなしのため、
両親はじめ親類、知人に贈答しました。
なお、奈良時代の天平5(733)年、
「盂蘭盆会」のための行事食として、
蓮の葉で飯を包んだ「荷葉飯(蓮葉飯)」が
用いられました。
『延喜式』(大膳) では「七寺盂蘭盆会供養料」として、米一斗四合、糯米 (もちごめ) 二斗そして「荷葉」三百枚が規定されています。
江戸時代の宮中でも「蓮の御膳」が供され、
『禁裏御膳式目』によれば、
小芋や生姜、青豆や鮑など「十種御肴」を
一品ずつ蓮の葉で包んだものだったようで、
一般には混ぜご飯を蓮葉で包んだようです。
盆粉(ぼんこ)
他家に嫁に入った娘が実家に戻る時、
「盆粉」(ぼんこ) と呼ばれる小麦粉を持参し、
親はこの小麦粉を使ってうどんを作り、
家族揃って食べるというのが
かつての一般家庭の風景でした。
そしてその翌日は、
残った米や小麦粉を婚家へ持ち帰り、
今度は舅と姑にも炊いて振舞う地域もあります。
うどんの他にも、そうめん、きび団子といった
畑作の原料がメインとなっていることも
一つの特徴になっています。
正月が「米」を中心にした「餅」なのに対し、
お盆は「雑穀・畑作物」が中心であることから、
「雑穀・畑作物」の収穫祭とも考えることが
出来ます。
盆見舞い
日頃世話になっている家に贈答するのも、
「生身魂(玉)」の延長で、親以外にも、
健在である親戚や知人が対象でした。
商家では、主人が奉公人に対し、
履物や衣類などをプレゼントしていました。
身体に身につけるものは、
なるべく身近な人に限るというのも
贈った人の生命力が、贈られた人の身に
ストレートに及ぶものだと信じられていたため
です。
そのため「生身魂(玉)」が
血縁の近い人々に偏りがちでしたが、
贈答が広く浅い範囲が及ぶようになり、
次第に「生身魂(玉)」は希薄となり、
「お中元」に代わるようになりました。