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乞巧奠(きっこうでん)

糸や針仕事の技巧上達を織姫星に願う夜の祭事
 
 

乞巧奠とは?

「乞巧奠」(きっこうでん/きこうでん)、
または「乞巧祭会」(きっこうさいえ)とは、
「織女星(織姫星)」が夜空に輝く
旧暦の7月7日の夜、
糸や針の仕事を司る織女に対して、
祭壇に針などを供えて
手芸や機織りなどの技巧上達を願う、
5世紀の古代Chinaで始まった宮廷行事です。
 

 
『荊楚歳時記』(けいそさいじき)という
6世紀頃の書籍には、
7月7日は「牽牛と織姫が会合する夜」とあり、
その夜、娘達は7本の針の穴に
美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて、
針仕事の上達を祈ったと記されています。
 

 
「乞巧」(きっこう)とは、
「技巧を授かるよう願う、上達を願う」、
「奠」(でん/てん)は、
「神仏に物を供えて祭る」という意味です。
 
「乞巧奠」の時に手芸の上達を祈って供える
五色の糸をつけた針を「乞巧針」(きこうしん)
供物を供える棚を「乞巧棚」(きっこうだな)
庭に立てた飾りたてた櫓(やぐら)のことを
「乞巧楼」と言いました。
 
こと座の「ベガ」とわし座の「アルタイル」は、
「天の川」を挟んで並び、
七夕の頃、夜空に一際輝きます。
 
古代Chinaの人はいつしか、
年に一度、旧暦の7月7日の日を
ベガ(織姫)とアルタイル(彦星)が
出会える日と考え、
「織姫と彦星」のストーリーが生まれました。
因みに、「ベガ(織姫星)」は針仕事を司る星で
「アルタイル(彦星)」は農業を司る星です。
 

乞巧奠(きっこうでん)の伝来

この「乞巧奠きっこうでん」が日本に伝わり、
日本に昔からあった「棚機女の伝説」の行事と
結びつき、宮中の節会として取り入れられ、
民間にも普及して、現在の「七夕」の行事と
なりました。
 
一条兼良により記された有職故実書
『公事根源』(くじこんげん)によれば、
孝謙天皇の天平勝宝7(755)年に初めて
「乞巧奠」を行ったとあります。
以降、詩歌管弦の上達を祈って、
雅な宴を催す朝廷行事となりました。
 
平安時代、宮中では清涼殿の庭に机を置き、
灯明を立てて供物を供え、終夜香を焚き、
天皇は庭の倚子(いし)に出御し、
「二星会合」(織女と牽牛が合うこと)を
祈ったそうです。
貴族の邸でも、「二星会合」と
裁縫や詩歌、染織などの技芸上達を願い、
梶(かじ)の葉に書きとどめたことが
『平家物語』に記されています。
 
室町時代には、
宮中の催しが少し簡略化され、
娯楽面が大きく押し出され、
歌、蹴鞠、碁、花、貝合、揚弓、香の
七つの競技を行う「七夕法要」という
風雅な遊びへと発展しました。
 

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