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冬将軍(ふゆしょうぐん)

二十四節気「大寒」を迎え、
天気予報では「冬将軍」という言葉が
聞かれるようになりました。
 
 

冬将軍とは?

「冬将軍」とは、「シベリア気団」、
もしくは「シベリア気団」がもたらす
厳しい寒さを意味します。
 

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「冬将軍」という言葉は、
正式な気象用語ではありませんが、
天気予報でよく取り上げられています。
 
なお「冬将軍」の到来の時期は、
はっきりとは決まっていませんが、
11月末頃から2月上旬位までと言われています。
また「冬将軍」の到来は一度ではなく、
冬の間は何度も訪れることがあり、
また日数も一日の時もあれば一週間程居座る
こともあります。
 
シベリア気団
「シベリア気団」とは、
秋から冬にかけてシベリア大陸に居座る、
とても冷たい高気圧のことです。
気温が低く乾燥した気団なので、
この「シベリア気団」が張り出してくると、
日本はいわゆる冬型の気圧配置(西高東低)となります。
「シベリア気団」は、低い気温と
乾燥した空気を多く含んでいるため、
日本海を吹き渡る際に
海からの水蒸気を巻き上げることで、
日本海側には大量の積雪をもたらし、
山を越えた太平洋側には
冷たく乾燥した風(颪・空っ風)を吹かせる
原因となります。
 

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なぜ「冬将軍」と
呼ばれるようになったのか?

なぜ、「シベリア気団」が「冬将軍」と
呼ばれるようになったのでしょうか。
その歴史は19世紀まで遡ることになります。
 
 
ナポレオンを襲った「冬将軍」
フランス皇帝のナポレオン1世は、
ロシアのアレクサンドル1世が、
ナポレオンの出した「大陸封鎖令」に反して、
英国に対する穀物輸出を続けていることに
対する制裁を名目に、欧州覇権を目指して
1812年5月、約50万という大軍を率いて
ロシアへの大遠征を開始しました。
しかし秋以降は、ナポレオンの大軍を
厳しい寒さが容赦なく襲います。
極端な寒さ、食糧不足、露軍の焦土戦術により、
兵士達は次々と命を落とし、
ロシアを抜け出せた兵はわずか2万だったと
言います。
 
 
この悲劇的な敗北を、英国の新聞記者が
ナポレオン軍は
「霜将軍(General Frrost)に破れる」と報じ、
欧州中で大きな話題となりました。
 
なおこの時多くの精鋭を失ったナポレオンは、
その後勢いを取り戻すことが出来ず、
やがて英国を含む同盟国軍のパリ入城後、
そして退位を余儀なくされました。
ロシア遠征は、欧州全てを支配する勢いだった
ナポレオンの転換点として記憶され、
ロシアの寒さは「最強のナポレオン軍」を破った
「冬将軍」と呼ばれるようになったのです。
ただこのエピソードが日本に伝わった際、
「霜将軍」がどういう経緯かは分かりませんが「冬将軍」として定着しました。
 
因みに、「冬将軍」に敗れたのは
ナポレオンだけではありませんでした。
ドイツのヒトラーのソ連侵攻(1941〜45年)や
ナポレオンが敗退した100年も前には、
スウェーデンのカール12世のロシア遠征も
撃退したと言われています。