天正20年5月28日(1592年7月7日)、
豊臣秀吉は、朝鮮の役の前線基地として
築いた肥前名護屋城の山里丸で
「黄金の茶室」を披露しました。
黄金の茶室(おうごんのちゃしつ)
「黄金の茶室」は、豊臣秀吉が関白就任した
翌年の天正14(1586)年正月に、時の天皇、
金箔を張り巡らせた、広さ三畳の
組み立て式の茶室です。
天正15(1587)年10月1日には、
秀吉が京都・北野天満宮にて主催した
大茶会「北野大茶湯」の際も
「黄金の茶室」を持ち込んで、
その中に「似たり茄子」などの
秀吉自慢の名物を陳列したそうです。
「似たり茄子」(にたりなす)
「九十九」(つくも)「松本」「富士」と共に
「天下四茄子茶入」の一つ。
宣教師の記録によると、大友宗麟が百貫、
現在価値の約2億円で購入したことから、
別名「百貫茄子」とも言われる。
大友宗麟は後に「新田肩衝」とともに
豊臣秀吉に献上されしました。
天正20(1592)年、「朝鮮出兵」のために
名護屋に出陣した折には、大坂より運ばせて
茶の湯を行ったことが知られています。
その後は「黄金の茶室」は大坂城に戻され、
秀吉が慶長3(1598)年8月に病没した後も、
大坂城内に保管されていましたが、
慶長20(1615)年の「大坂夏の陣」で、
大坂城が落城して焼失した際に、
「黄金の茶室」も灰燼に帰したと言われて
います。
「黄金の茶室」の正式な文献や図面は
残ってはいませんが、当時の記録によると、
壁・天井・柱・障子の腰は全て金張りで、
畳表(たたみおもて)は猩猩緋(しょうじょうひ)、
畳縁は萌黄地金襴小紋(もえぎじきんらんこもん) 、障子には赤の紋紗(もんしゃ)が張られていて、
使用する際には、
黄金の「台子」(だいす)や「皆具」(かいぐ)が
置かれたと伝えられています。
※ 台子(だいす)
水指などの茶道具を置くための棚物の一種で、
茶道の点前に使用する茶道具です。
一般的には格式の高い茶礼(されい)で用いられ
特に真台子(しんだいす)は献茶式などで使用されます。
※ 皆具(かいぐ)
台子(だいす) や長板に飾られる格式の高い
茶道具一式。
水指(みずさし)・杓立(しゃくたて)・建水(けんすい)・
蓋置(ふたおき)の四点が揃っている状態を
指します。
「黄金の茶道具」一式、
競売で3億円で落札
令和5(2023)年5月27日、秀吉が藤堂高虎に
授けたとされる「黄金の茶道具」一式が、
東京都内で開かれた競売会に出品され、
3億円で落札されたとの報道がありました。
落札したのは、茨城県筑西市にある
「廣澤美術館」ということですから、
そのうち目にする機会もあるかもしれませんね。
復元された「黄金の茶室」
「黄金の茶室」は現存していませんが、
日本各地には復元された「黄金の茶室」が
展示されています。
3Fに黄金の茶室の原寸大模型が
原寸大で復元され、展示しています。
・伏見桃山城キャッスルランド
(現:伏見桃山城運動公園)
(現:伏見桃山城運動公園)
近鉄がかつて運営していた
「伏見桃山城キャッスルランド」の展示品
として「黄金の茶室」を製作しました。
それを京都市が譲り受け、
貸し出しを行っています。
・いしかわ生活工芸ミュージアム
第3展示室(黄金の庵)
第3展示室(黄金の庵)
・箔座(石川県金沢市の金箔専門店)
本店に、国宝修復に使われる縁付金箔
約4万枚で仕上げた「黄金の茶室」を
見ることが出来ます。
・五箇山長福寺 「楽座仏照蓮心庵 」
(富山県富山市)
(富山県富山市)
復元した「黄金の茶室」内で
呈茶や学芸員による解説を行う
体験プログラムが行われています。
復元第一号です。
公家・武将・茶人・外国の宣教師などが記した
文献史料に基づき、数奇屋建築の堀口捨己
博士の監修の下、復元されました。
(国立科学博物館・復元協力)