
正月を迎えるにあたって、
12月13日に家の内外を清掃することを
「煤払い」(すすはらい) と言います。
煤払いの日
江戸時代、幕府は12月13日を
「煤払いの日」と定め、
「煤払い」(すすはらい) は
年間行事のひとつとなりました。
大奥の煤払い
江戸城大奥では、寛永17(1640)年以降、
13日が大掃除の日と定められていました。
月明けより個々の部屋の掃除が順番に始められ、
13日には総仕上げとして
正室の御座所の掃除が行われました。
なお大奥では、竹竿に笹や藁を括り付けた
「煤竹」(すすだけ) ではなく、
鳥の羽を用いた「天井払い」が使われました。
そして「煤払い」が終わったら
最後に畳が全て新品に交換されました。
掃除が終了すると
「納の祝い」(おさめのいわい) という宴となり、
里芋・大根・牛蒡・人参・焼豆腐・
田作 (ごまめ) の平盛 (ひらもり)・豆腐の味噌汁・
大根・人参・田作の生酢 (なます)・
塩引鮭の切り身などの食事と共に
お酒が振舞われ、
手拭いを被った奥女中達が
「めでためでたの若松様よ、
枝も栄えて葉も繁る。
おめでたやー、アーサッササッササ~♪」と
歌いながら周囲の人を胴上げする
習慣があったと言います。
奥女中達が平日用いた手拭いは、
白無地の晒木綿に限れていましたが、
「納の祝い」には
染木綿の手拭いを使うことが許されました。
胴上げをされるのは、
奥女中の他に、武士や男も
胴上げの標的になっていたようです。
「十二日 から色男 狙われる」という
川柳もあることから、奥女中達は前日から
イケメンを狙っていたようです。
そして狙われた男性は、胴上げされないよう、
逃げ回っていたといいます。
また「御つぼねは そっとそっとの 十三日」
という川柳もあります。
これは普段は口煩い老女も
あまり乱暴に胴上げされないように、
この日ばかりは掃除の仕方を注意する口調も
ついつい優しくなるという句です。
庶民の煤払い
江戸時代になると、
幕府の行事に倣うように、
大名屋敷や旗本邸などでも
13日に「煤払い」をするようになり、
更には商家や民家でも12月13日に
「煤払い」が行われるようになりました。
煤竹売り
師走に入って10日経った頃から江戸の町には
「御厄払いましょ、厄落し~」という
「煤竹」(すすだけ) を売る商人の売り声が
響き渡るようになります。
「煤竹」(すすだけ) は、
煤を払うために先に葉を残した状態の竹、
笹や藁を竹竿の先に束ねて括りつけた
竹帚です。
江戸では12月13日にこの「煤竹」を使って
大掃除が行われました。
大店の煤払い
大店 (おおだな) では、当日は早朝から、
奉公人達はもとより、
日頃から大店に出入りしている鳶の者、
町内の若い衆達が集まって来て、
大勢で丸一日かけて作業をするのが
慣わしでした。
雨戸を開け、畳を上げて道端に積み上げ、
棚の上の物や家財道具を片づけていきます。
毎年のことですから、
手伝いにくる人達も手馴れたもので、
仕事はどんどん進んでいきます。
ですがその日の夕方までに終ればよいので、
余り早く終わってしまうのも困るという訳で、
適当に時の移るのに合わせてやったようです。
作業の合間には握り飯や煮しめ、
おやつも出されたそうです。
そして「煤払い」が済んだら、
御祝儀目録金、手拭いなどが配られ、
蕎麦や鯨汁と共に酒が提供されて、
ここでもその家の主人などが
胴上げされました。
大店では、疲れた体を癒すために
「鯨汁」が振る舞われたという記録が、
数々の川柳や書物に残っています。
「江戸中で五六匹喰ふ十三日」
これは煤払いの日には、
鯨が5、6匹分食べられたくらい人々が働き、
賑やかな一日だった様子を描いた川柳です。
夜の町へ
大掃除が終わった夜は遊びに出掛けても
「煤払い」が終わった夜は、
商家などでは奉公人にも酒が出され、
早寝することが許されました。
若い丁稚は直ぐに寝床に入りましたが、
年嵩の店員などは夜の町へ遊びに出掛けても、この夜ばかりは大目に見られたそうです。
正月事始め
「煤払い」は、年神を迎える
正月の準備の第一段階として家を清めという、
大事な祝いの日です。
キレイに掃き清められた家には、
正月を迎えるために
注連縄 (しめなわ) を張り、松を飾り、
後は正月の品々を買い求める
「年の市」を待つばかりとなります。