「上野恩賜公園(上野公園)」は、
明治9(1876)年5月9日に
日本で初めて指定された公園の一つとして
開園しました。
上野の山の歴史
氷河期以降
上野の台地は、東京湾に突出した半島であり、今の不忍池辺りの低地部は東京湾の入江で、
奥まで海水が湾入し、日暮里や田端の裾は
東京湾の波が岸を洗っていました。
「上野」という地名の由来には
いくつかの説がありますが、
最も一般的に支持されているのが、
「上の方にある平野=台地」だからだ、
というものです。
縄文時代
上野の縄文人は、上野・谷中の台地に住んで、
石器で猪や鹿を狩り、魚介類を獲り、
団栗や栃の実を森に採りに行ったりして、
それらを食料として暮らしていました。
弥生時代
台地に挟まれた低湿地や入江で、
水田耕作が始まり、集落が作られるように
なりました。
中世以降
上野の地は「忍の岡」とか「忍の森」と呼ばれ
武蔵野における歌枕となり、
名勝の地として多くの歌に詠われました。
そして室町時代の長禄元(1457)年、
太田道灌 (おおたどうかん) が、江戸の地に城を築き
現代の首都・東京の原点を作りました。。
江戸時代
寛永2(1625)年、
徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、
江戸城の鬼門(東北)に当たる上野の台地に、
慈眼大師 (じげんだいし) 天海 (てんかい) 大僧正により「東叡山寛永寺」(とうえいざんかんえいじ) を創建し
不忍池を琵琶湖に見立て、
竹生島に見立てた中之島(弁天堂)周辺に
蓮を配置しました。
元禄11(1698)年に上野寛永寺の
根本中堂が建立されると、
それまで制限されていた
上野の山への一般庶民の立ち入りと
花見が許されるようになり、
上野の山は「花見の名所」として、
不忍池は「蓮の名所」として賑わいを
見せるようになりました。
「上野公園」の誕生
上野戦争で荒廃
明治元(1868)年の「戊辰戦争(上野戦争)」で、
寛永寺の伽藍の多くが焼失し、
更に徳川幕府の名残りを一掃する目的で、
寛永寺の建物や上野の山の大仏殿も壊され
多くの建物が危機に直面しました。
オランダ人軍医のボードワン博士
明治3(1870)年、上野の山内に
大学東校(現在の東京大学医学部)の病院を
建設しようとする計画が起きると、
翌年に上野の山を視察に来た
オランダ人軍医のボードワン博士が猛反対。
自然豊かな上野の山を見て、
「学校や病院を建てるのは
途方もない謬見 (びゅうけん) である」とし、
西洋にある公園として整備すべしと
日本政府に働きかけました。
博士の功績を称え、昭和48(1973)年、
公園内に銅像が設置されました。
ところがこの銅像はボードワン博士の弟を
モデルにしたものだったことが判明
(親族が元駐日オランダ領事だった弟さんの写真を渡してしまった)。
平成18(2006)年、急遽本人のものに
建て替えられるという珍事がありました。
日本で初めての
近代公園の一つに指定
博士の尽力により、病院建設の決定は翻され、
明治6(1873)年1月、太政官布達第拾六号
「群衆遊観の場所に公園を設ける件」により、
上野山一帯を公園と選定する旨の通達がなされ、
更に明治8(1875)年には、上野の山に加え
不忍池も公園地として併合されて、
府下一の公園となりました。
開園式
そして明治9(1876)年5月9日、
明治天皇・皇后両陛下の行幸を仰ぎ、
開園式が挙行され、
「上野公園」が誕生したのでした。
開園式の様子は、錦絵(浮世絵)の
「上野公園御臨幸之図」 (楊洲周延筆など)に
描かれており、明治初期の文明開化の
象徴的なイベントでした。
恩賜公園に
大正13(1924)年1月26日、
当時皇太子であられた昭和天皇と
良子女王(後の香淳皇后)の
御成婚が執り行われたことを記念して、
皇室所管だった「上野公園」が
不忍池を含む広大な土地や動物園も併せて
東京市に下賜 (かし) され、
正式名称が「上野恩賜公園」となりました。
そして市民の憩いの場として
整備が進められました。
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「ものづくり日本」の礎となった
「内国勧業博覧会」の開催
「上野公園」では、
国内の物産開発、産業育成のために
明治10(1877)年より明治36(1903)年にかけて、
「内国勧業博覧会」が5回開催されましたが、
そのうち第1〜3回は東京・上野公園で行われ、
当時最新の技術が登場し、
明治23(1890)年の第3回では、
東京電燈株式会社(現在の東京電力)が
会場内に日本初の電車を走らせたことが
話題になりました。
「上野公園」ではその後も
明治40(1907)年の「東京勧業博覧会」、
大正3(1914)年の「東京大正勧業博覧会」が
開催され、
不忍池にウォーターシュートが出現したり、
上野公園の台地から不忍池まで
日本初のエスカレーターが設置されたりと、
日本の近代化と技術交流に大きく寄与し
ました。
多様な文化施設の誕生
現在の「上野恩賜公園」は、
日本屈指の文化・芸術複合公園です。
「上野公園」の
東京ドームが約12個も入る広大な敷地には、
明治維新から50年以上をかけて
近代国家を支える文化施設が集約され、
近代化の中心地となりました。
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明治5(1872)年創設の
「書籍館」(しょじゃくかん) を前身とし、
明治30(1897)年の「帝国図書館官制」公布で
「東京図書館」を改称して誕生した
日本初の国立図書館「帝国図書館」は
明治39(1906)年に上野公園へ新館を開館し、
「国立国会図書館」の前身となり、
平成12(2000)年1月に日本初の
国立児童書専門図書館となりました。
明治15(1882)年3月20日に開園した
日本最古の動物園。
当初は1haの広さで、水牛・猿・鷲などが
人気を集めていたそうです。
入場料は平日が1銭、日曜日が2銭でした。
・東京藝術大学の前身の東京美術学校
明治20(1887)年、岡倉天心により設置され、
横山大観を始め、日本を支えた芸術家達を輩出しました。
藝大創立以来の収蔵品(約3万件)を
保存・公開するために
平成10(1999)年に上野キャンパスで
開館しました。
東京藝術大学音楽学部の前身である
東京音楽学校の校舎として、
明治23(1890)年に設立された
日本最古の洋式音楽ホールを擁す
瀧廉太郎や三浦環らが活躍した
歴史的建造物で、
現在は国指定重要文化財として
一般公開されています。
1926(大正15)年に日本初の公立美術館として開館した東京都美術館は、「石炭の神様」と呼ばれた北九州出身の実業家、佐藤慶太郎の寄付によって誕生しました。
仏国から返還された実業家・松方幸次郎の
コレクション(松方コレクション)を
収蔵するために、昭和34(1959)年6月10日に
設立されました。
建築家ル・コルビュジエが設計した
日本唯一の建築物としても知られています。
・下町風俗資料館
上野恩賜公園
開園150周年記念式典
都市公園制度が制定され、
最初の都立公園のひとつである
「上野恩賜公園」が令和5(2023)年10月19日に
開園150周年を迎えたことから、
記念式典を開催されました。