
3月3日の「上巳の節句(桃の節句・雛祭)」に
欠かせないもののひとつに「白酒」があります。
室町時代までは、古代Chinaで薬酒とされた
「桃花酒」(とうかしゅ) が一般的でした。
本来「桃」は、薬として大陸から伝わった果実で
邪気を祓い気力・体力を充実させるとされ、
「桃花酒」とは、花を浮かべたり香りを移した
ものでした。
今でもお雛様の横にも
白い瓶子に桃の花を飾りますね。
実はひな祭りに「白酒」を飲む風習は
江戸時代になってから、
江戸から全国に広がりました。
神田・鎌倉河岸の「豊島屋」が
「白酒」を創案したことが始まりです。
「豊島屋」(昭和より「豊島屋本店」)は、
約420年前の慶長元(1596)年に
神田鎌倉河岸(現在の神田橋付近)で
初代・豊島屋十右衛門 (じゅうえもん) が
酒舗兼一杯飲み屋を始めたのが起源です。
「豊島屋」は、東京最古の酒舗、
居酒屋のルーツと言われています。
その十右衛門がお雛祭り用に
「白酒」を創始すると、
「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」と
詠われるほど、
その評判は江戸中に広まりました。
なんでも半日で、白酒を一千石
(一升瓶で十万本相当)売ったとかなんとか。
徳川将軍家も飲んだとかで、以来、
「白酒」はお雛様にお供えするお酒としての
地位を確立しました。
伝説によれば、初代十右衛門は、
夢枕に立ったお雛様から
白酒の美味しい作り方を伝授され、
その通りに作って、
雛祭用に販売したら
江戸中の大評判となったとか。
天保7(1836)年の『江戸名所図会』には、
雛祭りの白酒を買い求める人々で賑わう様子が
「鎌倉町豊島屋酒店 白酒を商う図」として
紹介されています。
「例年二月の末 鎌倉町豊島屋の酒店において
ひな祭りの白酒を商ふ
これを求めんとて遠近の輩黎明より
肆前(しせん)に市をなして賑はへり」と続き、
この時季になると、遠くの者も近くの者も、
夜明けから人々が店の前まで行列をなして
白酒を買いに来たほど、繁盛した様子が
描かれています。
入口に櫓 (やぐら) を建て、その上では鳶(とび)が、
今でいうガードマンのように店先の客を整理し、
また混雑すれば怪我人も出るため、
店側では医者を待機させていたそうです。
なお「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」と
一世を風靡した「白酒」は、驚くことなかれ、現在も飲むことが出来ます。
「豊島屋」は、今も江戸時代と
ほとんど変わっていない製法で造った
「白酒」を販売しています。
味醂(みりん)にもち米を仕込み、
2カ月以上寝かせてから、
白酒の醪を石臼で時間をかけて
擦り潰していくという古風な製法。
白酒に興味のある方は、一度、お試しあれ!
なお、現在の「豊島屋」の代表酒は
明治時代中期に造られた「金婚」です。
「金婚」は、東京の二大神社である明治神宮、神田明神の御神酒でもあります。
昭和初期、酒蔵を東京西部の東村山市に
移設致しています。
酒蔵では、清酒、白酒、味醂を作っています。
また、KANDA SQUARE内で
酒舗・立ち飲み居酒屋「豊島屋酒店」を
展開しています。
