紅葉散る(もみじちる)
秋を彩った「紅葉」も冬の到来とともに
霜や風雨に傷み、やがて散り始めます。
この紅葉の散る様もまた美しく、
これを「散紅葉」(ちりもみじ) 、
「紅葉散る」(もみじちる) と言います。
「紅葉」 「紅葉かつ散る」は秋の季語ですが
「散紅葉」 「紅葉散る」は冬の季語になります。
冬に入ると、紅葉した木の葉は、
無数に地面に降り注ぎ
一面に敷き詰めたようになります。
北風が吹いた翌朝などに
紅や錦など様々な色に散り敷いた紅葉には、
樹上の紅葉とはまた違った趣があります。
特に川や池など水面に紅葉が散って行く情景、
流れ落ちて消えるもの、堰に溜まるのもあり、
見飽きることがありません。
まだ赤色を留めたままの紅葉もありますが、
盛期を過ぎて枯色に進んだ葉も交じって
風もないのにハラハラと舞っている姿に、
冬を実感させられます。
木の葉(このは)
木の葉(このは)とは?
晩秋から冬にかけて散ってゆく葉っぱのうち、
「落葉」(おちば) が、葉が散る様、
散った葉が地面にある姿を言うのに対し、
「木の葉」(このは) は、
既に散ってしまった落葉 (おちば) だけでなく、
今まさに舞い散っている葉、
まだ枝に残っている枯葉 (かれは) も含めた、
それより広い意味を持つ。
木の葉雨・木の葉時雨は雨ではない⁈
「木の葉雨」や「木の葉時雨」とは、
本当の雨ではなく、木の葉の散る様や音を
雨にたとえた表現です。
「時雨」(しぐれ) とは、初冬の頃に
降ったり止んだりする雨のことです。
「木の葉」は
「きのは」?「このは」?
木の葉の「木」は、
「き」とも「こ」とも読むことが出来ますが、
どちらが正しいのでしょうか?
結論的に言えば、「きのは」「このは」も
どちらも正しい読み方です。
そして「木の葉」の
「の」に助詞意識が感じられる用例においては
「きのみ」と読み、
一語意識が強く働く場合には、
「このみ」と読みます。
なお「木」を「き」と読むか、
「こ」と読むかの問題は、
「木の葉」だけではありません。
①「き」と読む場合
木戸 木登り 木場 木肌 木彫り
木の根 木の香
②「こ」と読む場合
木陰 木立 木の間
③「き」とも「こ」とも読む場合
木の実 木の葉 木の芽
落葉(おちば)
晩秋から冬にかけて、
紅葉した落葉樹は全て葉を落として
冬の眠りにつき、厳寒の季を過ごします。
この落葉樹の枝から散り落ちてゆく葉と、
地上に落ちた葉を総称して
「落葉」(おちば) と言います。
「落葉時」(おちばどき) は、
落ち葉の散る頃、冬の始まり前後を言います。
葉を吹き散らす風を「落葉風」(おちばかぜ)、
落葉のしきりに降る様を雨にたとえて、
「落葉の雨」「落葉の時雨」と言います。
落葉樹の梢から離れた葉は、
風に吹かれて舞い、
あるいは音もなく地面や水面に散り敷かれ、
やがて山野を埋め尽くします。
そして美しく散り敷いた落葉も
やがてすっかり枯れて風に吹かれている様は、
寂しさとともに冬の訪れを強く実感します。
庭や道に降り積もった落葉は、
「落葉掻」(おちばかき) をして
腐葉土や堆肥などの材料としたり、
あるいは「落葉焚」(おちばたき) をします。
更に冬が深まるとともに落葉に
幾度もの霜が降り、雨が掛かって腐り、
やがて土に帰って行きます。
枯葉(かれは)
冬が深まり、霜が降り始めることになると
木々の葉は枯れて散り始めます。
地上に散り落ちて枯れた葉はもとより、
枝や茎に枯れたまま吹かれている葉も、
どちらも「枯葉」(かれは) です。
草の葉の枯れたものも「枯葉」と言います。
かつては瑞々しい緑色の葉であったものが、
晩秋に赤や黄に美しく染まり、
冬になるとその色も褪せ、
茶色や灰褐色などに代わります。
これが「枯葉色」(かれはいろ) です。
枯葉色
(かれはいろ)
朽葉(くちば)
雑木林など、落葉樹の多い林の中には
「落葉」(おちば) が積み重なり、
雨や雪に晒され、年月が経つにつれて変化し、
腐り朽ちたものを「朽葉」(くちば) と言います。
朽葉を踏むとフカフカとして、
柔らかな感触が足に伝わり、
手に触れるともう脆く、
壊れて形がなくなります。
日本の伝統色に
「朽葉色」(くちばいろ) というものがあります。
「黄枯茶」(きがらちゃ) とも言って、
「赤みを帯びた淡い黄色」をしています。
朽葉色
(くちばいろ)
「朽葉」(くちば) は、その後、
土の中の微生物により発酵分解し、
長い年月をかけて土に還ります。