明治16(1883)年2月16日、日本で初めて、
当時の東京気象台(現在の気象庁)で
天気図が作られました。
「天気図(weather map)」とは、
様々な規模の気象現象を把握するために、
地図上に天気、気圧、等圧面における
高度、気温、湿数、渦度などの値を、
等値線その他の形で記入した図のことです。
世界初の「天気図」は、1820年に
ドイツの気象学者ハインリッヒ・ブランデスが
観測データを郵送などで集めて天気図を作成し、
発表しものとされています。
日本で初めて天気図は、明治16年2月16日で
クニッピング(Erwin Knipping)が天気図を描き、
英語で書かれた天気概況を翻訳したものだったようです。
クニッピングは、プロシアの航海士で、
お雇い外国人として来日しました。
日本でも電信を利用した
暴風警報の開始を促進する建白書を提出すると、
この建白書は受け入れられ、
明治15年に気象台に入ることになりました。
日本で公式の気象観測が開始されたのは
明治5(1872)年8月26日で、
函館地方気象台の前身「函館気候測量所」が
日本で最初に気象観測を開始しました。
その3年後の明治8(1875)年6月1日には、
東京赤坂葵町(港区虎ノ門二丁目)に
「東京気象台(現:気象庁)」が設立され、
観測だけでなく気象業務を司ることになり
ました。
但しそれ以前の19世紀前半から日本各地では
気象観測が行われ、その観測データが残されています。
クニッピングの尽力により、
当時、日本全国24か所にあった
測候所では定時に観測を行われ、
そのうち電信線が通っていた22か所から
毎日1回午前6時の観測情報を
電報で収集出来るようになり、
そうして明治16年2月16日に、
東京気象台で初めて「天気図」が
作製(試行)されたのでした。
発信されました。
因みに送られてくる1回分の電文には、
前日の午後2時・10時・当日6時観測の
気圧・風向・風力・雲向・雲速・気温・天気と、
6時における雲形と24時間雨量という情報が
まとめられていました。
なお、2月中は天気図作製の試行期間だったため、
残念ながら天気図は現存していません。
同年3月1日からは午前6時の天気図が
正式に発行・印刷されるようになり、
今も当時の天気図が
気象庁に残されています [PDF] 。
私達に広く天気図が知れ渡るようになったのは、
大正13(1924)年8月21日、国民新聞に
「天気図」が掲載されたことです。
昭和14(1939)年3月には、
ラジオによる天気予報が始まりました。
昭和16(1941)年12月8日気象管制が施行され、
昭和20(1945)年8月21日に解除されるまで、
気象情報を知ることが出来なくなりましたが、
同年8月22日にはラジオで、8月23日には新聞で
再び天気予報が復活しました。
昭和28(1953)年2月1日にTV放送が開始されると、
定時ニュースの重要なニュースとして
「天気図」を使った天気予報が始まりました。