大地を潤して草木を生育させる雨。
天の助けのように降る雨を
「恵みの雨」とか「恵雨」(けいう) と言います。
雨を降らす神様
八大竜王
(はちだいりゅうおう)
仏教の「天龍八部衆」(てんりゅうはちぶしゅう) に
属する龍の王様で、
観音菩薩の守護神であり、
観音様の宝珠を身に宿して、
人々に福をもたらし、願いを叶えてくれる
と言われています。
日本では、仏教が伝わる以前から
龍は信仰されており、
多くの地域で様々に形を変えて伝えられていて
雨乞いの際に信仰されています。
・難蛇龍王
歓喜の意。
八大龍王の中でも筆頭で、海洋の主。
・跋難蛇龍王
亜歓喜の意。難陀龍王の弟。
・沙竭羅龍王
大海の意。 天海に住すとされ、
龍宮の王ともされ、大海竜王ともいう。
・和修吉龍王
宝の意。
「宝有」とも「宝称」とも称される。
須弥山を守護し、細龍を捕って食べる。
日本では、「九頭龍王」(くずりゅうおう)
などと称され、水中に住する龍神として
特に信仰されている。
・徳叉迦龍王
多舌の意。視毒とも称される。
この龍が怒って人を凝視すると、
その人は絶命する。
・阿那婆達多龍王
清涼、無熱悩の意。雪山(ヒマラヤ)の
北辺にあるという伝説の池・阿耨達池
(無熱悩池)にある五柱堂に住し、
この池から四方に大河を生み、
閻浮 (えんぶだい)、すなわち大陸を潤す。
・摩那斯龍王
大身、大力の意。
阿修羅が喜見城を攻め、海水で侵した時、
大身をくねらせてその海水を押し戻した
という神話がある。
・憂鉢羅龍王
青い蓮の意。青蓮華の生ずる池に住む
ことから「青蓮華龍王」とも言う。
青蓮華は仏典では優鉢羅華といい、
清浄なるものの例えとされる。
龗(おかみ)
水、雨雪を司る神のことで、古来、
雨を呼ぶ神また降る雨を止めてくれる神として
知られています。
なお、山峰の雨を司るのが「高龗」(たかおがみ)、
谷の雨を司るのが「闇龗」(くらおがみ) です。
高龗神(たかおがみ)
『日本書紀』に記されている水神様で、
山峰の雨を司るとされています。
八意思兼命
(やごころおもいかねのみこと)
常世思金神、思兼神、八意思兼神、
八意思金神、天八意命とも。
「天岩戸神話」や「国譲り神話」で
知恵を駆使して解決に導いた
知恵の神、学問の神様。
「天岩戸神話」で、
再び世界に「太陽」を取り戻し、
世の中を救うことに成功したことから、
晴・曇・雨・雪・雷・風・霜・霧といった
八つの気象条件を司るとされ、
「気象の神様」と祀られるようになったとも
言われています。
弁財天の神使である蛇
成長して竜になり、
雨を降らすと信じられています。
雨祇(あまぎ)
「雨祇」(あまぎ) は、元々、
「神祇」(かみぎ) の「神」を省略した言葉で、
「祇」は土地の神や地神を指す言葉です。
昔から「雨乞い」は
国家による儀礼として行われており、
天皇が「神祇」に祈ることで行われて
いました。
社翁の雨(しゃおうのあめ)
「社翁」は土地の神様のこと。
春の「社日」に神様が降らせる雨のこと。
日和坊(ひよりぼう)
常陸国の山に棲み、晴れを司る妖怪で、
雨天時には姿を見せない
禿頭が特徴の日和坊 (ひよりぼう) は、
「てるてる坊主」の元になったと
言われています。
機嫌を損ねないように、
晴れの願いを叶えてくれた時は目を描き入れ、
お酒を振舞ったという記述が残っています。
また、「てるてる坊主」の起源は、
「魃」(ひでりがみ) という名の
妖怪という説もあります。
この「魃」(ひでりがみ) は、元々Chinaの妖怪で、
獣の体と人の顔を持ち、
手と足が一本ずつという姿形をしています。
この妖怪が現れると雨は降らず、
名の通り、大変な日照りとなったと
言われています。
「春」の季語
雪解雨(ゆきげあめ)
雪を解かす春先の雨のこと。
春の訪れを告げる嬉しい雨。
二十四節気「雨水」の頃に降る雨。
雪消しの雨(ゆきけしのあめ)
「春一番」が吹く頃に降る雨。
雪を解かして春が訪れたことを告げ、
草花の芽吹きを促す雨と言われています。
雨一番(あめいちばん)
北海道で立春の後、初めて雪が混ざらずに
雨だけが降る日のこと。
なお「春一番」と違い、
気象庁による公式発表はありません
催花雨(さいかう)
二十四節気「雨水」の頃から降る雨のこと。
春の花の開花を促すように
シトシト降り続く春の雨のこと。
「菜花雨」とも言います。
育花雨(いくかう)
花の育成を促す春の雨。
「催花雨」(さいかう) と同意。
養花雨(ようかう)
春に咲き誇る様々な花達に
養分を与えるように降る雨のこと。
またこの頃の不安定な天候のことを
「養花天」(ようかてん) と言います。
沃雨(よくう)
農作物や草木を潤す、
育成のために必要な雨のこと。
甘雨(かんう)
草木を育てる春の雨で、恵みの雨のこと。
特に、穀物などの成長を助ける雨として
二十四節気の「穀雨」の頃に降る雨を
指すことが多いです。
黄金の雨(こがねのあめ)
日照り続きの時に降る有難い雨のこと。
感謝の気持ちと喜びが
貴重な黄金という言葉に込められています。
「夏」の季語
慈雨(じう)
万物を潤し、生気をもたらし、育てる
雨のことを「慈雨」(じう) と言います。
日照り続きの時に降ってくれる恵みの雨。
霊雨(れいう)
特に夏の強い日差しが続く時に降る恵みの雨。
日照りが続く後の雨を指すことが多いです。
また夏の暑さから解放してくれる雨として、
喜びや安堵の気持ちを表すこともあります。
旱天の慈雨(かんてんのじう)
日照り続きの後に降る恵みの雨のこと。
「旱 (干)」は日照り、「慈雨」は恵みの雨。
転じて、待ち望んでいたことが実現したり、困っている時に差し伸べられる救いの手に
たとえられます。
祈雨(きう)
雨乞いのこと。
この時読まれる経を
「祈雨経」(きうきょう) と言います。
請雨(しょうう)
雨を願うこと、または雨乞いをする人を
指します。
密教に旱魃の時に降雨を祈祷する
「請雨法」という修法が伝わっています。
宝雨(たからあめ)
秋田県地方の言葉で、
夏の日照りの続いた後に降る雨のこと。
渇水の後の喜びが伝わってくる言葉です。
樹雨(きあめ・きさめ)
霧の雫が森林の木の葉に溜まり、
それが大粒の水滴となって落ちてくる
水粒のこと。
木の下に行くと、大きな水滴が落ちてきて、
雨が降ったのかと思うことがあります。
この現象は、雨が降らなくても
林床に水を供給出来るという大きな役割があり
樹林帯の植生にも影響があります。
薬降る(くすりふる)
陰暦5月5日の丑の刻(正午)に降る雨のこと。
この日は昔から、
山野に出て薬草を取る風習があり、
これに因んで「薬日」と言って、
この雨のことを「薬降る」と言いました。
この時に、竹の節に溜まった降雨を
「神水」(しんすい) と呼んで、
この「神水」(しんすい) を飲めば万病に効き、
この水で丸薬を作れば、
あらたかな薬効があると言われています。
またこの雨が豊作をもたらすと言われて
います。
雨沢(うたく)
人々や万物に潤いと恵みと与える雨の恵み。
「沢」は、潤い、恵の意味。
錦雨(きんう)
青葉をより鮮やかに映えさせてくれる
初夏の雨。
日照り続きの後にようやく降る恵みの雨。
「錦」は、彩りが美しいこと、
また金糸や銀糸を使って織った
美しく高価な物の意味を持ち、
有難いという気持ちからも
名付けられたと思われます。
雨露の恩(うろのおん)
雨と露が自然界の万物を潤すこと、
そしてその恩恵を指します。
涼雨(りょうう)
夏の終わりに降る、涼しさをもたらす雨。
「秋」の季語
伊勢清めの雨
(いせきよめのあめ)
伊勢神宮で行われる一年で最も重要な祭典
「神嘗祭」(かんなめ) が執り行われる
旧暦9月17日(現在は10月15日から17日)の
翌日に降る雨のこと。
この日、その年の新穀で作った
御饌 (みけ) と神酒 (みき) を天照大御神に奉り、
収穫の感謝を捧げ、
自然の恵みに感謝すると共に、
五穀の豊穣、国民の平安などを祈願します。
その祭祀が終わった翌日に降る雨は、
祭祀の後を清める雨として知られています。
「新年」の季語
御降り(おさがり・おんふり)
「元旦」に降る雨、雪のこと。
「御下」とも書きます。
また「三が日」に降る雨や雪のことも
こう呼びます。
「降る」という言葉が「古」に通じるため、
「正月」には忌み言葉とされ、
「御降り」という言葉に置き換えられたと
言われています。
農家では、「元旦」に雨が降ると
その年は豊作だと言われています。
富下り(とみさがり)、
富正月(とみしょうがつ)
「御降り」と同義。
「元旦」から「三が日」の間に降る
雨や雪のことを指す言葉です。
正月の晴れやかな日に、
雨や雪は縁起が悪いと忌避されることから、
「富下り」(とみさがり) とか
「富正月」(とみしょうがつ) と、
より明るい言葉で言い換えました。
雨や雪が豊作の兆しと捉えられていたため、
農家の人々にとっては
喜ばしいこととされたからです。