うまずたゆまず

コツコツと

江戸っ子は七夕の夕方に「素麺」(そうめん)を食べました。

 
江戸時代、(旧暦) 7月7日の「七夕」に、
江戸っ子は、織姫が機を織る糸に因んで
細くて長い「素麺」(そうめん) を食べました。
 
 
江戸っ子だけでなく、
将軍の七夕の祝膳献立には素麺があり、
京都の公家社会の七夕の膳にも素麺が
見られます。
 
 
この時代の素麺はそのままカットしないか、
長いものをグルグル巻きにした長いもので、
食べるのに困るほどの長さでした。
これには重要な意味がありました。
それは素麺の長さにあやかって長生きをする
ためです。
 
室町時代には、武将同士の贈答にも使われ、
かの織田信長も足利将軍家に
七夕の進物として素麺を贈っています。
 
今でも素麺は、縁起の良いギフトとして
知られています。
寿命を全う出来るよう細く長く生きて、
末永く幸せが続くのようにという意味の他、
細く長く付き合いが続くように、
相手との関係性を願う意味もあります。
 
 
また女性が七夕に素麺を食べると、
機織りや裁縫が上手になると言われました。、17世紀の料理の教科書ともいうべき
『料理切方秘伝抄』には、
織姫の機織りにかけた糸をそうめんに見立て、
七夕に素麺を食べると機織りが上達すると
言われていたと記されています。
 
 
なお素麺の食べ方は、
江戸時代前期には、茹でた後に水で洗い、
味噌から出る溜 (たまり) を薄めたつけ汁に、
ネギ、胡麻、山椒、芥子などの薬味を入れて
食べました。
 
 
江戸中期以降は、醤油の普及もあって、
現代と同じような、鰹だし汁に
味醂の甘さも足したつけ汁となり、
薬味も生姜を使うようになりました。
 
 
江戸時代も中期頃までは西日本から下って来る
「下り素麺」に市場を独占されていました。
 
江戸時代の有名な素麺の産地
 ・奈良県の三輪そうめん
 ・兵庫県の播州そうめん(揖保乃糸)
 ・長崎県の島原(須川)そうめん
 ・石川県の輪島そうめん
 ・岡山県の備中手延べ麺
 ・徳島県の半田そうめん
 
後期になると、江戸市中でも
素麺を製造されるようになった他、
小川素麺 (埼玉県)、久留里素麺 (千葉県) など
関東にも産地が出来て
「地回り素麺」と呼ばれました。
ただその後、都市化、後継者不足、水質悪化、
機械製麺の興盛などの影響により消滅してしまいました。