七夕」の行事の一つに
「硯洗い」(すずりあらい) というものがあります。
これは、「七夕」の前の夜、7月6日に、
子供達の学問の上達を願って、
普段使っている硯を洗い清める風習です。
硯だけに限らず、
普段使っている学用品に感謝して
手入れをすると良いとのことです。
そうして「七夕」には早起きし、
里芋の葉に溜まった朝露を小瓶に集めました。
そしてこの里芋の葉の朝露で墨をすり、
七夕竹に吊るす色紙や短冊に字をしたためると
文字や文筆が上達すると言われたものです。

これは京都・北野天満宮の、洗った硯に
梶の葉を添えて神前に供える
「御手洗祭」(みたらしさい) 神事に倣った
ものです。

北野天満宮の御神祭・菅原道真公の詠まれた詩に
「彦星の行あひをまつ かささぎの渡せる橋を
われにかさなむ」とあるように、
北野天満宮では、七夕神事「御手洗祭」は、
古くから重要な祭事として斎行されてきました。
「彦星の・・・」という和歌は、
菅原道真公が太宰府に流されてから
詠んだものです。

『彦星と織女星との出逢いを待って
天の川に架けるという鵲 (かささぎ) の橋を、
どうか私に貸して欲しいものだ』といった
意味でしょうか?
古代Chinaの伝説によると、
七夕の夜に彦星と織姫が出逢う時、
カラスに似たカササギという鳥が、
天の川に翼を広げて橋渡しをすることに
なっているそうです。
ただ「かささぎの渡せる橋」は、
小倉百人一首に採られている大伴家持の歌 「かささぎの渡せる橋におく
霜の白きをみれば夜ぞふけにける」から
「かささぎの渡せる橋」は
宮中の階 (きざはし)、つまり昇殿するための
階段のこと。
すると、菅原道真は太宰府で内裏を思って
詠んだことになります。
それを考慮に入れるとすれば、
『かささぎの翼があれば、もう一度
宮中の階段を登ることが出来るのに。
誰か仲立ちをして、
私を京都に呼び戻してくれないだろうか」
という意味になるのではないでしょうか?
この「御手洗祭」では、神前に
菅公の御遺愛と伝わる「松風の硯」に、
角盟 (つのだらい)・水差し、
短冊の代わりに用いた梶の葉七枚の他、
季節の物として、
茄子・胡瓜・真桑などの夏の野菜、
素麺・御手洗団子をお供えして、
手習いや学問の上達を祈ります。
また北野天満宮では、
平安時代より江戸時代まで旧暦の七夕の時期に
境内の清水によって身心を祓いと浄める
厄除けの御利益を授かると同時に
暑気払いを行う「北野御手水神事」も
行ってきました。
明治時代、一時衰退しましたが、近年、
境内に新しくせせらぎが設けられたことで、
平成28(2016)年から「足つけ燈明神事」として
行われるようになりました。
清らかな御手洗川の水で邪気を祓い、
五色のろうそくに火をつけ、
願いを込めて奉納します。
水に浮かべると文字が浮き出る
「水占みくじ」もあります。
この祭の期間内は、
境内の夜間ライトアップ、
御手洗川足つけ燈明神事(8/2-17)、
御本殿石の間通り抜け神事なども
行われます。