冬、北西からの強い寒風が吹いて
柵や竹垣に当たって、
ヒューヒューと笛のような音を立てることを
「虎落笛」(もがりぶえ)と言います。
虎落笛(もがりぶえ)とは
冬の強い寒風が柵や竹垣に吹き付けて発する
ヒューヒューと笛のような鋭い音を
「虎落笛」(もがりぶえ)と言います。
ビルや鉄塔が音を立てることもあります。
室内にいても、聞いただけで寒気に襲われる
冬の風音です。
「もがる(強請る)」とは、
異議を申し立てる、抗議する、逆らう、
反抗するという意味の古語です。
なるほど、この風音を聞くだけで
首をすくめたくなるのも、道理ですね。
「ヒューヒュー」という音の正体
エオルス音
木の小枝あるいは葉、電線やアンテナなどの
細い物体に空気の速い流れが吹き当たると、
物体の後ろ側に「カルマン渦」と呼ばれる
渦巻群が細い物体の振動を促し、
「ヒューヒュー」という
「エオルス音(aeolian sounds)」を
引き起こします。
これが「虎落笛」(もがりぶえ) です。
なお、「エオルス音=虎落笛」は、
風速が大きいほど振動数も大きく、
音程が上がります。
ヘルムホルツ共鳴
因みに、強風時の「ピュー」という高音は
「エオルス音(aeolian sounds)」ですが、
「ブォオオオ」「ゴーーーー」というような
不気味な低めの音は
「ヘルムホルツ共鳴(Helmholtz Resonant)」
と呼びます。
ビール瓶など筒状のもののの
口元に息を吹きかけると
ボーっという音を鳴らすことが出来ますが、
これが「ヘルムホルツ共鳴」です。
口元に息を吹きかけると
瓶の首にある空気が中に押し込まれます。
すると瓶内の圧力が高まりこれを押し返します。
これがまた口元でビン内に押し込まれ、
・・・とこの繰り返しによって
空気が振動して音が鳴る訳です。
強風時には、建築物の凹凸に対して
強く風が送り込まれることから
「巨大なビール瓶状態」になって
「ヘルムホルツ共鳴」が発生するのです。
カルマン渦
強い冬型の気圧配置になった時に、
北寄りの風が持続的に吹くと、
上空の低い所を流れる風は山や島にぶつかり、後ろに回り込みます。
山のすぐ後ろは
風の流れがほとんどありませんが、
両脇から回り込んだ風は
巻き込むように
山や島の後ろ側に入り込むため、
淀むように雲の渦が出来ます。
この渦を「カルマン渦」と言います。
日本付近では、済州島などの風下や
屋久島、利尻島などの風下で
「カルマン渦」は多く見られます。
「カルマン渦」が現れる時は、
冬型で強い北風に乗って
寒気が南下している証拠です。
全国的に北風が強まり、
気温も急降下しますので要注意です。
「虎落」は「虎を防ぐ柵」⁈
Chinaでは、虎を侵入を防ぐために
虎が乗り越えられない、
虎が乗り越えようとしても
落ちてしまう柵を設置しました。
これが「虎落」です。
日本では、
戦 (いくさ) などの時に竹を組んで柵とした
「矢来」(やらい) のようなもの、
または竹を枝付きで立てかけたもの、
竹を筋違いに組み合わせた柵 (さく) や塀、
垣根などの「もがり」に
この「虎落」の漢字を充てました。
「もがり」は「仮葬の場所」⁈
「もがり(殯)」とは、
日本の古代に行われていた葬送儀礼です。
貴人の埋葬するに先だって、
しばらくの間、遺体を棺に納めて
しばらく仮に置いておくことで、
殯の期間に遺体を安置する場所を
「殯宮」(もがりみや) といい、
それを囲う竹垣も「もがり」と言うようになり
その後、Chinaで虎を防ぐ柵を意味する
「虎落」の字を当てました。
「殯」の歴史
「殯」(もがり) の歴史はとても古く、
古くは『魏志倭人伝』の他、
『古事記』や『日本書紀』にも
既に「殯」(もがり) の名前は登場しています。
古代、死後すぐには埋葬せず、
別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、
死者の復活を願いつつも
遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を
確認することにより、
死者の最終的な「死」を確認しました。
これが「殯」(もがり) です。
なお遺体を安置する期間は身分によって異なり、
身分の高い者は3年という長い間、
安置されることが一般的でした。
安置された遺体は一定の期間を経ると
棺から取り出され、洗骨し清められた状態で
本葬されました。
「殯」の衰退
その「殯」も、大化2(646)年に制定された
「薄葬令」(はくそうれい) により
身分により墳墓の大きさや規模が制限されると
徐々に衰退していきます。
庶民の厚葬を禁じられ、
時間をかける「殯」も厚葬のひとつと判断され庶民には行えなくなってしまいます。
こうして葬儀儀礼は徐々に質素なものとなり
簡略化されていきました。
また墳陵も小型簡素化されたことにより、
前方後円墳の造営がなくなり、
古墳時代も事実上終わりを告げました。
現代の皇室における「殯」
現在も、皇室の葬儀では、
国家主催の「大喪の礼」(たいそうのれい) に先立ち、
皇室の儀式として「大喪儀」(たいそうぎ) を行い、
天皇崩御の際には、「もがりのみや」という
仮設の遺体安置所「殯宮」(もがりのみや) が
つくられることになっています。
皇后や皇太后の葬儀にあたる
「斂葬の儀」(けえんそうのぎ) では、
「ひんきゅう」と呼びます。
実際、昭和天皇は1月7日に崩御しましたが、
「大喪の礼」は2月24日であり、
その間48日ありました。
そのうち35日程度の期間が、
「殯」(もがり) にあてられています。
この「殯」の期間は24時間体制で
「殯宮祗候」(ひんきゅうしこう) という
儀式が行われました。
「殯宮祗候」では、宮内庁の関係者だけでなく政治家や経済関係者が10名程のグループを作り、
ご遺体が安置され真っ暗で静かな「殯宮」で
交代制で儀式を執り行ったそうです。
天皇陛下(現在の上皇陛下)の
ビデオメッセージ
平成28(2016)年8月に、
天皇陛下(現在の上皇陛下)が
ビデオメッセージで退位の意向を示しました。
そこで語られた言葉の中に
「殯」があったことから、
人々の関心を集めることになりました。
・・・更にこれまでの皇室のしきたりとして,
天皇の終焉に当たっては,
重い殯の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き
その後喪儀に関連する行事が,1年間続きます。
その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々,
とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下
に置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることは出来ないもの
だろうかとの思いが,胸に去来することもあり
ます。