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「斂葬の儀」(れんそうのぎ)

 
先日、令和6(2024)年11月15日に
101歳で薨去 (こうきょ) された
三笠宮百合子さまの「斂葬の儀」(れんそうのぎ)
11月26日に営まれます。
 
 

三笠宮百合子さまの略歴

 
三笠宮崇仁親王妃 (みかさのみやたかひとしんのうひ)
百合子殿下 (ゆりこでんか) は、
大正12(1923)年6月4日、
華族・高木正得 (たかぎ まさなり) 子爵の
第二女子として誕生されました。
 
 
昭和16(1941)年10月22日に、
大正天皇の第四皇子・三笠宮崇仁親王と御成婚。
甯子内親王 (近衞甯子)、寬仁親王、
桂宮宜仁親王、容子内親王 (千 容子) 、
高円宮憲仁親王の三男二女の5人の子女を
もうけられました。
 
 
「オリエントの宮さま」として親しまれた
三笠宮さまを支える一方、
日本赤十字社名誉副総裁、母子愛育会総裁、
民族衣裳文化普及協会名誉総裁、
中宮寺奉賛会名誉総裁などを務められ、
中でも昭和23(1948)年から平成22(2010)年、
母子愛育会」の総裁として60年余に渡り
母子保健の向上に力を尽くされました。
 

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残念ながら、寬仁親王、桂宮宜仁親王、
高円宮憲仁親王を相次いで先に亡くされ、
更に平成28(2016)年10月27日には、
昭和から平成の75年間共に歩まれた
三笠宮崇仁親王殿下の薨去と、
悲しみもご経験されました。
 
三笠宮様薨去に伴い、
93歳からは三笠宮家の当主となり、
令和5(2023)年には百寿 (100歳) を迎えられ、
「現在は、孫や曾孫の成長をとても楽しみとしております。これからも人々の幸せを祈念しつつ、日々を過ごしてまいりたいと存じます」
と文書でお気持ちを述べられていました。
 
今年3月に体調不良から聖路加国際病院に入院、
一旦は回復されリハビリを続けられましたが、
11月8日に容態悪化が発表。
約1週間後の令和6(2024)年11月15日6時32分、
老衰のため薨去されました。
皇室で最高齢の101歳でした。
 

天皇、皇后以外の皇族の御葬儀

天皇及び皇族の喪儀については、
大正15(1926)年に公布された
「皇室服喪令」(こうしつそうぎれい) によって
定められています。
なお天皇、皇后以外の皇族は、火葬されて
夫婦で皇族専用墓地「豊島岡墓地」に
合葬されるのが一般的です。
 

皇族の方が亡くなってからの流れ

1.殯宮(ひんきゅう)の設置
2.宮内庁で日取りの協議・決定
3.御船入りの儀(おふねいりのぎ)
4.拝訣(はいけつ)
5.正寝移柩の儀(せいしんいきゅうのぎ)
6.通夜
7.斂葬の儀(れんそうのぎ)
   ・轜車発引の儀(じしゃはついんのぎ)
   ・葬場の儀(そうじょうのぎ)
   ・火葬(かそう)
   ・墓所の儀(ぼしょ)
 
殯宮の設置
天皇・皇族の棺 (ひつぎ) を本葬の日まで
仮に安置しておく御殿を設置します。
「あがりのみや」 「もがりのみや」 とも言います。
 
宮内庁で日取りの協議・決定
宮内庁内で葬儀の日取りなどについて
協議、決定します。
 
御舟入りの儀
(おふねいりのぎ)
一般の葬儀でいう
「納棺」(のうかん) が行われます。
 
11月16日の儀式の前に、天皇皇后両陛下と
上皇上皇后両陛下が弔問されました。
そして午後5時より「御舟入りの儀」が行われ、
孫で喪主の彬子さまらが御参列されました。
 
拝訣
(はいけつ)
皇族が遺体に最期の別れを告げる、
弔問が行われます。
 
「御舟入りの儀」後、秋篠宮ご一家や
愛子さまら皇族が訪れ、
棺の百合子さまに拝礼されました。
 
正寝移柩の儀
(せいしんいきゅうのぎ)
皇族のご遺体を納めた棺を
当該皇族の邸宅に設けられた
祭壇のある別の部屋「正寝」(せいしん) へと
移す儀式のこと。
 
今回は、11月24日午後2時から
赤坂御用地の三笠宮邸で
喪主を務める孫の彬子さまや秋篠宮ご夫妻、
愛子さま、佳子さまら皇族方が参列されて
行われました。
そして午後3時半頃には天皇皇后両陛下が、
続いて上皇ご夫妻が訪れて弔意を示され
ました。
 
通夜
「正寝移柩の儀」の後、数日間に渡り、
「正寝」にて通夜に当たる儀式が行われ、
その翌日に「斂葬の儀」が行われます。
 
今回は11月24~25日に渡って行われ、
秋篠宮ご夫妻ら皇族方を始め、
石破茂首相や額賀福志郎衆院議長、
寛仁親王妃信子さまの実兄・麻生太郎議員らが
参列しました。
 
一般向けの記帳台も設けられ、
長蛇の列が出来ました。
 
斂葬の儀
(れんそうのぎ)
一般的な葬儀でいう「本葬」に当たります。
なお「斂葬」(れんそう) とは、
「死者を墓穴などに納める葬ること」を
指します。
葬儀・告別式に当たる「葬場の儀」と
納骨式に当たる「墓所の儀」から構成されます。
 
なお天皇皇后両陛下は、皇室の慣例により
一連の儀式に直接参列せず、
勅使 (ちょくし) を遣わします。
死を「穢れ」とする神道の思想から、
天皇皇后両陛下は葬儀に参列せず
使者を送るのが慣例と言われています。
 
「霊代安置の儀」
(れいだいあんちのぎ)
棺が葬儀場に向かうのに先立ち、
御霊 (みたま) を権舎 (ごんしゃ) に安置する
儀式です。
 
轜車発引の儀
(じしゃはついんのぎ)
皇族の御遺体を納めた棺を載せた
皇族用霊柩車「轜車」(じしゃ)
邸宅から豊島岡墓地 (としまがおかぼち) まで
運ぶこと。
 
百合子さまの棺を乗せた車は、
午前9時頃に三笠宮邸を出発、
午前9時半過ぎに文京区の豊島岡墓地に到着。
皇族方や石破総理大臣、各界の代表など
480人余りの参列者が見守る中を
参列はゆっくりと進みました。
豊島岡墓地(としまがおかぼち)
東京都文京区大塚五丁目にある、
護国寺に隣接する皇族専用の墓地。
明治6(1873)年、明治天皇の第一皇子・
稚瑞照彦尊が死産なされた時に、
「豊島岡墓地」に葬られてから、
同墓地がとして整備されて以降は、
全ての皇族がこの墓地で眠っています。
 
葬場の儀
(そうじょうのぎ)
儀式を司る司祭長が
弔辞に当たる祭詞を読み上げた後、
参列者が神道のしきたりに則って
玉串 (たまぐし) を捧げて拝礼します。
 
火葬
(かそう)
葬場の儀の後、御遺体を火葬場に運びます。
近年は「斂葬の儀」が
「豊島岡墓地」で行われるため、
新宿区にある「落合斎場」の斎場の
「特別殯館」という火葬炉で
火葬に付されます。
 
墓所の儀
(ぼしょのぎ)
火葬後に墓所の再び「豊島岡墓地」に移動し、
遺骨が墓に埋葬されます。
終了後、「告別式」に当たる
「一般拝礼」が行われます。