「亥の子の祝」(いのこのいわい)という行事をご存知ですか?
農作物の収穫祝いを始め、
子供をたくさん産むイノシシにあやかって、
「亥の子餅」やイノシシのお菓子(和三盆)などを食べて
子孫繁栄や収穫祝い、無病息災を祈る祭りです。
亥の子の祝
「亥の子の祝」が行われる日は?
「亥の子の祝」は収穫祭のことです。
- 亥の月 (旧暦10月、現在の11月頃)
- 最初の亥の日
- 亥の時間(21時~23時)
地域によっては、
「亥の子の祭り」「お亥の子さん」などとも呼ばれています。
現在では11月の第一亥の日に行われ、
今年、令和4(2022)年は11月6日 [日] になります。
亥の子の祭り
祭りの日には、子供達は「亥の子唄」を歌いながら
「亥の子つき」をして地域の家々を回ります。
訪問された家は、
子供達に雑穀を混ぜて作った「亥の子餅」やお菓子、
お小遣いなどを渡すのが習わしです。
持ち帰った「亥の子餅」を食べると、
無病息災で過ごせると考えられていました。
主に西日本を中心に行われる
「亥の子の祭り」は、
広島・岡山・大阪などの西日本を中心とした祭りです。
東日本ではあまり知られておらず、
「亥の子祭」そのものが行われていません。
代わりに「十日夜」(とおかんや)と言われる
収穫祭を兼ねたようなお月見が、
「亥の子祭り」と同時期である、旧暦の10月10日に行われています。
令和4(2022)年は11月3日です。
亥の子つき
地域によって多少の違いがあるものの、
「亥の子つき」とは、
子供達が「亥の子槌」や「亥の子石」「石亥の子」と呼ばれる道具を使い、
地面をついたり叩いたりしながら地域の家々を回ることです。
地面を叩くのは、
邪心を祓い、害獣を退治するといった意味があるそうです。
そして訪問された家では、
子供達に亥の子餅やお菓子、お小遣いなどを渡すのが習わしです。
亥の子唄
「亥の子唄」とは、「亥の子つき」の時に子供達が歌う唄です。
歌詞は、広島・愛媛・京都など、地域によって異なるのですが、
その多くが数え唄や囃子唄となっており、
無病息災を願う縁起を担いだ内容となっています。
なお、亥の子餅やお菓子などを振る舞ってくれない家に対しては、
悪口を言うような歌詞も存在するようです。
亥の月、亥の日、亥の刻に亥の子餅を食べると病気にならない
「亥の月、亥の日、亥の刻に亥の子餅を食べると病気にならない」
という言い伝えもあって、
古くは、その年に収穫された
大豆・小豆・ささげ・ごま・栗・柿・糖(あめ)の
7種の粉を新米に入れて作っていました。
現在、「亥の子餅」は10月〜11月にかけて、
和菓子店などに並びます。
亥の子祝の由来
「亥の子祝」は元々、古代のChinaにあった
「亥の月の亥の日の亥の刻に
穀物を混ぜ込んだ餅を食べると病気にならない」という
無病息災のまじないでした。
それが平安時代に日本に伝わり、
宮廷の禁裏にて行われたのが始まりと云われております。
紫式部の『源氏物語』にも、「亥の子餅」が登場する場面があります。
光源氏と紫の上の巻に、
「光源氏と一緒にいる紫の上のもとに
美しい容器に入った亥の子餅が届けられた」と書かれています。
既に、平安の時代から「亥の子餅」が
日本で食べられていたということが分かる一節です。
鎌倉時代に入り、武家にも同じような儀式が広まり、
猪(いのしし)が多産であることから子孫繁栄を願う意味も含まれ、
「亥の子餅」を食したと伝えられております。
やがて、それが収穫の時期ということから
農家の収穫祭と合わさり、
庶民的な「亥の子お祭り』として
西日本を中心に、庶民の間にも広まったと言われています。
江戸時代には、亥の月の最初の亥の日を
「玄猪の日」と定めたことから、
「玄猪の祝い」(げんちょのいわい)とも言われていました。
このため、「亥の子餅」のことを「玄猪餅」(げんちょもち)とも言います。
亥の子餅
亥の子餅とは
「亥の子餅」は地域によって呼び方が変わり、
「玄猪餅」(げんちょもち)とか「能勢餅」(のせもち)、
「厳重餅」(げんじゅうもち)とも呼ばれています。
「亥の子餅」とは、その名の通り、
猪の形をしていたり、
「ウリ坊」のような縞模様を焼きごてで付けた餅です。
猪の子供時代を「ウリ坊」と呼びます。
地方、地域などによっては、
「うりっこ」「うりんこ」などとも呼ばれています。
猪の子供が「ウリ坊」と呼ばれる理由は、
体の縞々模様が「縞瓜」(しまうり)によく似ているためです。
この縞々は外的から身を守るための保護色なのです。
猪の子供は一度に3~5頭ほど生まれても
1年後、生き残ることが出来るのはその半分程度。
因みに、大人になると縞々模様は完全に消えて、
全身くすんだ黒や茶色の毛になります。
古来の日本では、
大豆・小豆・大角豆(ささげ)・胡麻・栗・柿・糖(あめ)といった
七種類の粉を
その年に収穫された新米に混ぜて作られたと言われています。
旧暦の10月の亥の日亥の刻に
「亥の子餅」を食べる風習は薄れてしまっていますが、
今でも期間限定の秋の和菓子として親しまれ、
10月下旬~11月になると、
「亥の子餅」が各地の和菓子屋に並びます。
スーパーなどで目にすることもあるでしょう。
現代の「亥の子餅」は、
地域や和菓子屋によって
材料や作り方、見た目は異なりますが、
白玉粉を用いた伝統的なうり坊を模した餅に
餡を詰めたきな粉餅が一般的です。
子供も喜ぶコロンとした丸い餅に
ウリ坊のように三本筋の焼き印を入れた餅や
かわいらしい色やフォルムの餅も
販売されています。
炉開きの定番茶席菓子
茶の湯でも、
炉に切り替える「炉開き」は、亥の月亥の日が選ばれています。
古代Chinaの思想である「陰陽五行説」において、
「亥」は「水性」に属すると言われています。
「水」なので「火」に強いため
「亥の月、亥の日から火を使い始めると安全」とされる他、
「亥」は「摩利支天」(まりしてん=仏教の守護神、炎の神)の神使なので、
「亥」は火を免れる(火災が起こらない)と考えられています。
このことから、「炉開き」の日とされ、
この日の茶席のお菓子として「亥の子餅」は定番とされてきたのです。
亥の月亥の日には「炉開き」だけでなく、
いろりやこたつ・火鉢などを使い始める日でもありました。
これも火災から逃れられることが出来ると考えられたからです。
亥の子餅の作り方
「亥の子餅」は、もち粉や白玉粉を使って手作りも出来るので、
無病息災や子孫繁栄を願い、手作りしてみるのもおススメです。
その年に取れた新米(餅)に
「大豆・小豆・ゴマ・栗・柿・ササゲ・糖」の七つの粉を混ぜ、
亥の子の形を真似て作ってもよし。
材料を変えてみたり、自分流にアレンジしても楽しめそうです。
<材料> (12個分)
- もち粉(白玉粉) : 50g
- 水 : 90㎖
- 粒あん :240g
- グラニュー糖 : 70g
- 白ごま :大さじ1杯
- 栗 :適量
- 干し柿 :適量
- きなこ :適量
<作り方>
<餡の作り方>
- 茹でて皮をむいた栗と干し柿を小さく刻む
- 白ごまをすり潰す
- 栗、干し柿、白ごまと粒あんを容器に入れ、
それを混ぜ合わせる - 12等分に分け、楕円形に丸める
<求肥(ぎゅうひ)の作り方>
- 耐熱性の容器にもち粉、グラニュー糖を入れ、
水を少量ずつ加えながらよく混ぜる - 混ぜ終えたら容器にラップをし、1分ほど電子レンジで加熱
- 加熱後、水で湿らせたゴムベラでこね、
透明感が出たら12等分に分ける
(※2と3の工程は、透明感が出るまで数回繰り返す)
<仕上げ>
- 棒状のもので求肥を伸ばし、餡を包む
- その表面にイノシシをイメージした縞模様の筋を竹串で入れる
- その筋にきな粉を振りかけたら、
- 完成!