「ももはじめてさく」と読みます。
読んで字のごとく、
桃の蕾がほころび、花が咲き始める頃となりました。
昔は花が咲くことを「笑う」と表現しました。
桃は枝から直接くっつくように、
溢れんばかりに密集して咲くのが特徴です。
上品な白から淡いピンク、濃紅まで、
彩りの競演を楽しむことが出来るのも
「桃」ならではないでしょうか。
「桃」と言うと、まず思い浮かべるのは
フルーツ(「実桃」)のほうですが、
「桃」は大きく分けて2種類あり、
雛祭りに飾る桃の花は、
花を観賞するための品種で「ハナモモ」と呼び、
食用の「実桃」とは性質が異なります。

桜の花の咲く時期に前後して開花の最盛期を迎え、
艶やかなピンクや赤、白の花が春の庭を彩る
「ハナモモ」(花桃)はバラ科サクラ属の落葉中高木で、
花を観賞するために改良された桃です。
日本には弥生時代に渡来したと言われています。
『古事記』には、伊邪那岐命が黄泉の国から逃げ帰る際、
雷神と黄泉軍に追い詰められた時に
そこに生えていた桃の実を三個取って投げつけると
雷神と黄泉軍が退散したとあります。

そして、桃に
「お前(桃)が私を助けたように、
葦原の中国(地上世界)の人々が苦しみに落ち、
悲しみに悩む時に助けてやってくれ」と命ぜられ、
「意富加牟豆実命 」という名を授けました。
平安時代には、
3月3日の「桃の節句」が祝われ、
桃の花が観賞されるようになりました。
観賞用の「ハナモモ」の品種改良が進んだのは
江戸時代に入ってからです。
様々な園芸品種が生み出され、
現在も当時の品種が多く残っています。
大正時代には、
「赤・白・ピンク」の
3色が入り混じった品種が登場します。
この華やかな品種は、福沢諭吉の娘婿で、
木曽川水力発電の開発に尽力された
「日本の電力王」こと福沢桃介氏が
ドイツ・ミュンヘンから持ち帰り、
長野県・阿智村で定植させたものです。
現在、阿智村には、
月川温泉郷一帯に約五千本、
阿智村から南木曽町へ抜ける
国道256線「花桃街道」に約五千本と、
トータル一万本ものの花桃が植えられ、
「日本一の桃源郷」と呼ばれ、
4月中旬から5月中旬にかけて見頃を迎えます。
(詳しくは、「花桃の里」をご覧下さい。)
因みに、「ハナモモ」にも実はなりますが、
残念ながら「実桃」とは異なり、一般的には食用に向きません。
「ハナモモ」に実がなるのは7~8月で、
大きさは5~6cm程度と小ぶりで、実は酸味や苦味が強いです。
しかし「ハナモモ」を自宅で育てている方の中には、
その実を果実酒にしたり、ジャムにしたり活用しているようです。