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六郷のカマクラ(ろくごうのかまくら )

 
秋田県仙北郡美郷町六郷 (ろくごう) 地区では、
毎年2月中旬から5日間に渡って、
鎌倉時代から700年余りの歴史がある小正月行事
「六郷のカマクラ」が行われています。
 
 

六郷のカマクラ

「六郷のカマクラ」は、
秋田県仙北郡美郷町六郷 (ろくごう) 地区で
毎年2月11日から15日まで5日間かけて行われる
「小正月」の行事です。
 
初日の「蔵開き」 「天筆」(てんぴつ) から
「鳥小屋」 「どんど焼き」
最終日の「竹うち」 「鳥追い」 「天筆焼き」などの
全ての行事を総称して「六郷のカマクラ」と
言います。
 
鎌倉時代から700年余りの歴史を持ち、
各地の「小正月」行事が失われつつある中、
今なお本来の姿を保ち、
住民の伝承意識が高いことから、
昭和57(1982)年には国の重要無形民俗文化財に
指定されています。
 

「六郷のカマクラ」の歴史

「六郷のカマクラ」は、
鎌倉時代の建久年間(1190-1199)に
出羽国六郷の地頭となった二階堂氏が、
京都御所清涼殿の東庭で行われていた
小正月の「左義長」(さぎちょう)
「吉書初め」の行事をもたらしたものと
言われています。
 
この「吉書」が「天筆」(てんぴつ) で、
五穀豊穣、家内安全などを願う文句を書き、
青竹につけて神様に届けるために、
「左義長」の火で焼くのが
「六郷カマクラ」中心的行事です。
 
現在、初日に「蔵開き」 「天筆の書初め」、
2日目からは「小正月市」 「天筆」掲揚、
「鳥追い小屋」作って、
最終日には「天筆焼き」 「竹うち」までという
この形が定着したのは
江戸初期の頃と言われています。
そして昭和57(1982)年に
国の重要無形民俗文化財に指定されました。
 

「六郷のカマクラ」の日程

「六郷のカマクラ」は、
豊作・安全繁栄を祈る「年ごい」(天筆まつり)、
不幸を除く「悪魔祓い」(鳥追い行事)、
その年の吉凶を占う「年占い」(竹打ち)の
3つが一体化となった行事です。
 
・初 日  蔵開き・天筆書初め
・2日目  小正月市・天筆掲揚・
      鳥追い小屋作り
・3日目~ 鳥追い行事
・最終日夜 餅搗き・小正月の年とり・
      天筆焼き・竹うち・鳥追い
 
蔵開き
行事の初日には「蔵開き」が行われます。
元旦からこの日まで蔵の米出しを止め、
この日、蔵の前に据え膳してお灯明を灯し、
取っ手のある大きな鍵を供えて拝みます。
 
「天筆」書初め
「天筆」(てんぴつ) とは「吉書」のことで、
行事初日、子供達が「天筆」に願い事を書いて
翌日に備えます。
子供達は自分のものは自分で書いて、
自分で書けない幼年者は父兄が代筆
します。
 
まず「天筆」を作ります。
半紙を横に3つに断ち、3~5mに繋ぎ合わせます。
白紙ばかりではなく、
色紙を緑・黄・赤・白・青 (紫) の順に継ぎ合わせて
作ったりもします。
令和7(2005)年2月9日から15日には、
『天筆書き体験』が行われています。

rokukama.akita-misato.com

 
 
いよいよ願い事を書きます。
初めに
「奉納 鎌倉大明神 天筆和合楽 地福円満楽」
と書き、次に自分の願い事を書いて、最後に、
「あらたまの 年のはじめに筆とりて
 よろずの宝 かくぞあつむる」
という和歌を一首書いて、
「何年正月吉日 氏名 年齢 敬白」と
書くのが決まりです。
 
「天筆」を書き終わったら、
2日目に長い青竹の先につけて戸外に立てる
「天筆掲揚」を行います。
全町の数千本の天筆が寒風になびく様は
誠に壮観です。
 
小正月の市
行事2日目は、
最終日の小正月年越しの準備の日で、
「市」が開かれます。
露天市では、最終日に神仏に供える
「メメンコ(猫柳のこと)」を買う風景も
見られます。
 
鳥追い行事
「鳥小屋」(とりごや) は、
害鳥を追い払う農耕予祝行事の一つで、
行事3日目から作り始めます。
 
「鳥小屋」と呼ばれる雪室は、
雪を40㎝位の厚さに四角に積み上げて、
天井に茅 (ちがや) を編んで作った
(むしろ) を載せて作ります。
 
出来上がったら、
その中に「鎌倉大明神」を祀り、
子供達は互いに「鳥小屋」を訪問し合って、
「鳥追い唄」を歌って過ごしました。
現在は、雪の鳥小屋の形だけが残っています。
 正月どごまできた
 クルクル山のかげまで
 何おみやげもってきた
 松とゆずり葉とデンデン串柿
 もってきた
 あしたの晩かまくらだ
 大根と牛蒡ど煮ておけ
 
「カマクラ」の準備
最終日、「六郷のカマクラ」の
クライマックス行事
「天筆焼き」と「竹うち」が行われます。
 
まず、「カマクラ畑」の中心部に、
「左義長」を模して
注連縄や門松などの正月飾りがまとめられ、
二つの「松鳰」(まつにお) が作られ、
その間に注連縄を張ったら
「カマクラ」の準備が出来上がりです。
 
餅搗き
午後、各町内の「カマクラ」本部前では、
男衆による「餅搗き」が威勢よく行われます。
そして、柳の小枝にまゆ玉の餅を付けて
「柳まゆ玉」を作ります。
これは稲穂をかたどったもので、
神棚や米俵の上に立てて豊作を祈願します。
 
竹うち
竹を打ち合う「竹うち」は、
新しい年の豊作と繫盛を占う「作占い」で、
長年続けられてきました。
 
旧羽州街道を境に、
町を「南軍」と「北軍」に分けて3回行われ、
「北軍」が勝てば「豊作」、
「南軍」が勝てば「米の価格が上がる」と
言い伝えられています。
 
夕刻、「ボヘー ボヘー ボヘー」と
木製のホラ貝「木貝」の音が
静寂を破って鳴り響き、
各町内で必勝祈願の出陣式が行われます。
 
そして午後7時過ぎ、煙火の合図とともに、
沈黙していた町の中が急に騒めき出し、
各町内で出陣式を終えた男衆が
5~6mの青竹を担いで
「カマクラ畑」に駆け出します。
いよいよ「竹うち」が始まります。
 
午後8時頃、けたたましいサイレンの合図と
ともに「竹うち」1回戦が始まります。
場内は人と竹の修羅場となり、
竹の打ち合う音、割れる音、そして怒声が
入り乱れます。
 この夜、使用される青竹は
 数千本に及ぶと言われ、
 折れた竹は新しい竹と取り替えます。
 
周辺で見守る家族や観衆は大きな声援を送り、
木貝がひっきりなしに吹き鳴らされます。
1回戦終了後、休憩を挟んだら
2回戦が行われます。
 
3回目の決戦は、9時頃、
「ボヘー」と一際高く「木貝」が鳴り響くと、
神官が「松鳰」(まつにお) をお祓いして、
これに点火して始まります。
 
「竹うち」が終わったら、
今まで打ち合いしていた男衆達は握手しながら
「松鳰」(まつにお) の周りに集まり
「今年も豊作であるように」と念じながら
割れ竹で御神火を打ち合います。
 
天筆焼き
神官がお祓いした
「松鳰」(まつにお) に付けられた火は、
カマクラ畑に集められた「天筆」が
子供達や観衆の手により焼かれます。
 
焼いた「天筆」が空に高く昇れば
「字が上手になる」「成績が上がる」
「願い事が叶う」と言われています。
 
その他にも、
この火の粉を浴びれば一年間病気をしない、
その日で焼いた餅を食べれば風邪を引かない、
とも言われています。