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神嘗祭(かんなめさい)

 
伊勢神宮では、毎年10月15日から25日まで、
収穫に感謝し、新穀を神様に捧げる
「神嘗祭」(かんなめさい)
伊勢神宮の両正宮(しょうぐう)
別宮、摂社、末社、所管社に至る
全ての御社125社において行われます。
 
 

「神嘗祭」とは

 
概要
「神嘗祭」(かんなめさい)は、
年間1500回に及ぶ伊勢神宮
恒例のお祭りの中でも、最も大切な祭祀です。
 
「神嘗祭」は、その年に収穫された「新穀」を
最初に天照大御神に捧げて、
秋の実りに感謝申し上げ、
「皇室の弥栄」「五穀の豊穣」「国家の隆昌」
並びに「国民の平安」を祈願します。
 

 
「神嘗祭」に際し、
天皇陛下は、皇居内にある御田で
自らがお作りになられた初穂を
伊勢神宮に捧げられ、
また当日は皇居の神嘉殿から伊勢神宮
ご遙拝になられます。
 
また、この天皇陛下の御初穂や
神宮神田で作られた初穂、
全国各地の農家から寄せられた
稲束「懸税」(かけちから)には
「紙垂」(しで)がつけられて、
両宮(外宮・内宮)の
「内玉垣」(うちたまがき)に懸けられます。
(外宮は15日の午後から16日の奉幣の儀まで、
 内宮は16日午後から17日の奉幣の儀まで)
 

 
「神嘗祭」に合わせて伊勢神宮では
装束や祭の器具を一新するため、
「神嘗正月」とも呼ばれているそうです。
 
「神嘗祭」の日
「太陽暦」採用以前は、
旧暦9月11日に勅使に御酒と神饌を授け、
旧暦9月17日に奉納していましたが、
明治6(1873)年の「太陽暦」採用以降は、
新暦の9月17日行いました。
ただこの時期は、
稲穂の生育がまだ不十分であるため、
明治12(1879)年)以降は
月遅れの10月17日に行われています。
 
明治7(1874)年から昭和22(1947)年までは
「神嘗祭」の日は「祝日」でしたが、
戦後は「平日」です。
 
「神嘗祭」の祭儀


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♦ 豊受大神宮(外宮)
  • 由貴夕大御饌 10月15日 午後10時
  • 由貴朝大御饌 10月16日 午前2時
  • 奉    幣 10月16日 正午
  • 御 神 楽  10月16日 午後6時
 
♦ 皇大神宮(内宮)
  • 由貴夕大御饌 10月16日 午後10時
  • 由貴朝大御饌 10月17日 午前2時
  • 奉    幣 10月17日 正午
  • 御 神 楽  10月17日 午後6時
 
浄闇の中、まずは外宮の神様「豊受大御神」に
午後10時に「由貴大御饌」(ゆきのゆうべのおおみけ)
午前2時には「由貴朝大御饌」(ゆきのあしたのおおみけ)をお捧げします。
「由貴」には「清らかな」とか
「清浄な」「穢れのない」、
「大御饌」は「立派なお食事」という意味が
あります。
神宮神田で清浄に栽培された
新穀の御飯・御餅・神酒を始め、
海の幸、山の幸をお供えします。
 
翌正午には、「幣帛」(へいはく)という
五色絁(いついろのあしぎぬ)
白絹、錦などの布や織物などを、
天皇陛下の遣いである「勅使」(ちょくし)
奉納する「奉幣の儀」が、
午後6時には「御神楽」が行われます。
そして翌日には、「内宮」でも、
このような祭典が同じように行われます。
 

「神嘗祭」の起源

八握穂やつかほにまつわる真名鶴まなづる伝説

 
第11代 垂仁天皇皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)
天照大御神の鎮座地を求めて
各地を巡行していました。
伊雜宮(いざわのみや)ご鎮座の翌年秋、
伊勢神宮に真名鶴(まなづる)が北から来て、
昼夜鳴いていました。
倭姫命が使いを遣わすと、
その鶴は現在の三重県明和町根倉
(旧稲倉地方)の葦原に還り、
そこで稲を鶴がくわえて鳴いていました。
その稲は、1株の根から800の穂が出ている
「八握穂」(やつかほ)でした。
それを聞いた倭姫命は、この稲を抜穂にして、
お米を炊いて天照大御神の御前に懸け奉ったという伝説があります。
 

 
これが「懸税」(かけちから)の起源であり、
伊勢神宮で行われる「神嘗祭」(かんなめさい)の始まりとされています。

三重県明和町根倉のこの地は、
「神嘗祭」で内垣に掛けられる
稲束「懸税」(かけちから)の発祥の地とされ、
カケチカラ発祥記念碑」が建てられています。
 

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五十鈴いすず川のほとり家田やた御常供田みじょうくでんなどの伝承

 
五十鈴川のほとりにある伊勢神宮の神田は、
倭姫命(やまとひめのみこと)
お定めになったと伝えられていて、
「大御刀代」(おおみとしろ)または
「御常供田」(みじょうくでん)と言われていました。
 
天照大神の御鎮座をされた
倭姫命(やまとひめのみこと)は、
「五十鈴川の水を引けば肥料もいらず、
 害虫がいない場所である。
 ここを大神の御膳の稲を作る家田の
 御田にしなさい」と定めたのが、
神宮での米作りの始まりと伝えられています。
 

 
毎年、地元青年男女の奉仕のもと、
神宮では1年間に行われるお祭りの御料の
「粳米」(うるちまい)
「糯米」(じゅまい=もち米)が、
五十鈴川の水を使って清浄に育てられています。
そしてその年に採れた新米が
「神嘗祭」で大御神に奉られるのです。
 
 

初穂曳(はつほびき)


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神宮で行われる「神嘗祭」をお祝いするため、
地元伊勢の人々は神宮に新穀を奉納する行事
「初穂曳」(はつほびき)を行います。
 
昔は「おおまつり」として、
伊勢にある各町でお祭りを行ってきましたが、
明治28(1895)年に各町のお祭りを廃止統合して、
当時の宇治山田町全体の祭りとして祝うようになりました。
 
「伊勢市」は「伊勢市」と称する以前は
「宇治山田市」と称しており、
内宮周辺が「宇治」、外宮周辺が「山田」に
当ります。
 
 
そして昭和47(1972)年からは、
その年に収穫された新穀を
「外宮」へは「陸曳」(おかびき)で、
「内宮」へは「川曳」(かわびき)
奉曳・奉納する「初穂曳」(はつほびき)
始まりました。

例年10月15日に行われる「陸曳」(おかびき)では
奉曳車は3台にたわわに実ったお初穂が飾られ、
伊勢の子供達、伊勢市民(町衆)、
県内外の特別神領民など約1500名が曳手となり
半被姿で参加、外宮北御門へと運行します。
 
「川曳」(かわびき)は、
10月16日に初穂を木ぞりに載せて、
各々揃いの半被姿で木遣りを歌い、
賑やかに五十鈴川を練りながら、
上流にある伊勢神宮・内宮(皇大神宮)を
目指して川に入って曳きます
 
<<令和5年度 第52回初穂曳について>>

isesengu.jp

 

神嘗奉祝祭

平成13(2001)年からは、10月14日~16日の期間、
全国の著名なお祭り
(阿波踊りや越中おわら風の盆、
 沖縄のエイサー など)が伊勢に集い、
神宮への感謝の想いを込めて、
踊りや舞いなどを奉って
収穫の喜びと五穀豊穣の感謝を皆で分かち合う
「神嘗奉祝祭」が始まりました。
残念ながら、平成30(2018)年で
終わってしまいましたが・・・
再開しないのかな?