令和7(2025)年1月11日(土)・12日(日)の2日間、
長野県松本市では、新春の伝統行事
「松本あめ市」が開催されます。
「松本あめ市」の見どころ
400年以上の歴史がある「松本あめ市」は、
中心市街地が歩行者天国になり、
多彩な催しが開かれます。
恒例の日本各地の多彩な飴が並ぶ
「全国あめ博覧会・即売会」、
九州や岐阜や松本などの名産品が集まる
「商都大物産市」の他、
七福神が飴を配りながら街頭を練り歩く
「松本あめ市時代行列」、
上杉軍・武田軍に分かれて綱引きを行う
「塩取合戦」、
和太鼓の演舞や書道パフォーマンスなど、
松本の街全体で様々なイベントが展開されます。
また福だるまの販売がされる他、
街の様々なところでキッチンカーが出店し、
美味しいグルメを食べられるのも
楽しめるポイントです!
「松本あめ市」の起源
「松本あめ市」の起源については諸説あり、
また元々は「あめ市」ではなく、
「塩市」だったと伝わっています。
お正月の「市初め」の行事
松本では、江戸時代の前期から、
正月11日に「市初め」の行事があり、
塩や飴が売られていたと言われています。
この「市初め」に市の神様を祀っていた
宮村天神(現在の天神・深志神社)の神主が
「市神の塩」を売るようになり、
それが「塩市」と呼ばれ、
今日の「あめ市」の起源と言われています。
「謙信の義塩(ぎしお)」伝説
「謙信の義塩(ぎしお)」伝説とは、
いわゆる「敵に塩を送る」と言われるものです。
戦国時代、甲斐の武田信玄が三国同盟を破り、
駿河へ侵攻した報復として、
駿河の今川氏は相模の北条氏と図って、
その報復処置として甲斐へ塩を送る事を
全面的に禁止しました。
この「塩留め」により、甲斐の領民が
苦しんでいる事を知った上杉謙信は、
「信玄と争うところは、弓箭(戦争)にある。
米塩ではない」と、
以前同様に塩を輸送しました。
甲斐の領民は上杉謙信の高義を深く感じ、
「義の塩」として徳を称え、
上杉謙信が送った塩が松本に届いた
永禄12(1569)年1月11日を記念して、
この日、松本で塩を売る「塩市」が
行われるようになったと言われています。
飴の一大産地
ところで松本地方は、乾燥した気候から、
かつて飴の一大産地として知られ、最盛期には
20軒以上もの飴屋が軒を連ねていました。
そしてその飴屋では、
送られてきた塩俵をモチーフにした飴を作って
売り歩いていたことから、
明治時代に入ると
「塩市」はいつしか「あめ市」となり、
盛大に行われるようになったのです。
現在「あめ市」では、
上杉軍・武田軍に分かれて戦う
「塩取合戦(綱引き)」が行われています。
あめ市の名物飴
かつては20軒以上もあった飴屋ですが、
現在は老舗の3軒を残すのみです。
新橋屋飴店「福あめ」
「新橋屋飴店」は松本市にある
創業から約170年の飴店です。
「福あめ」は、「あめ市」のための
冬期限定商品です。
「福あめはいかがですかー!」の
子供達の元気な売り声は、
この祭りのシンボルになっています。
飯田屋「あめせんべい」
創業は寛政8(1796)年の「飯田屋」。
看板商品のひとつが「あめせんべい」です。
薄い飴を細いストロー状にしたものを
束ねたような飴です。
軽くてパリパリとした食感は、
他では味わえません。
山屋御飴所の「板あめ」
寛文12(1672)年創業の「松本最古」を誇る
「山屋御飴所」(やまやおんあめどころ) 。
徳川綱吉が第五代将軍として活躍した頃、
湧き出る清らかな水と
安曇野で獲れるお米を原料に飴を作り始め、
今も米飴を主原料に素朴で優しい甘さの飴を
作り続けています。
一番人気は「板あめ」です。
高温で煮詰めた米飴にピーナッツを混ぜ合わせ、
軽い歯応えを楽しめる様に薄く伸ばした板状で、まるでせんべいのような
パリパリとした食感と香ばしさは
「食べ始めたら止まらない」と評判です。