うまずたゆまず

コツコツと

昭和の日

4月29日は「昭和の日」(しょうわのひ)です。
「激動の日々を経て、
 復興を遂げた昭和の時代を顧み、
 国の将来に思いをいたす」日です。
 

  

 
昭和64(1989)年1月7日の昭和天皇崩御の後、
それまで「天皇誕生日」であった4月29日を
「生物学者であり自然を愛した
 昭和天皇をしのぶ日」として
「緑の日」とすることとなりました。
 
しかし、実際に制定された法律では、
昭和天皇を偲ぶという趣旨は
盛り込まれなかったため、
「昭和の日」に改称する法律案が
超党派の国会議員により提出され、
数度の廃案の後に平成17(2005)年に成立し、
平成19(2007)年より、
4月29日が「昭和の日」、
5月4日が「みどりの日」となりました。
 
 

  

 
 
昭和天皇は、明治34(1901)年4月29日に
大正天皇の第1皇男子として、
東京・青山の東宮御所でご誕生になりました。
諱を「裕仁」(ひろひと)
御称号を「迪宮」(みちのみや)と称されました。
お印は「若竹」(わかたけ)です。
 
明治45(1912)年7月30日、
明治天皇の崩御により皇太子となられました。
そして大正10(1921)年11月25日からは
大正天皇のご病気のために、
大正15(1926)年12月25日までの
5年余りに渡って「摂政」に就任されました。
 
そして大正15(1926)年12月25日に、
大正天皇の御崩御されると践祚(せんそ)され、
第124代の天皇となられました。
 
昭和3(1928)年11月10日には
京都御所で「即位の礼」を、
11月14から15日には、
仙洞御所内の御殿跡地に造営した
大嘗宮で「大嘗祭」(だいじょうさい)
挙行されました。
 


www.youtube.com

 
 
それから60数年後の
昭和64(1989)年1月7日午前6時33分、
十二指腸乳頭周囲腫瘍により、
吹上御所において崩御(御歳87)され、
「昭和天皇」と追号されました。
 
平成元年2月24日、昭和天皇の「大喪の礼」が
国の儀式として新宿御苑において行われ、
陵は「武蔵野陵(むさしののみささぎ)
定められました。

 
生物学者でもあった昭和天皇は、
余暇をみては
海洋生物・植物の分類研究を続けられ、
ご著書も多数ご出版になりました。
  • 日本産1新属1新種の記載をともなう
    カゴメウミヒドラ科Clathrozonidaeのヒドロ虫類の検討(1967年2月)
  • 天草諸島のヒドロ虫類(1969年9月)
  • カゴメウミヒドラClathrozoon wilsoni Spencerに関する追補(1971年9月)
  • 小笠原諸島のヒドロゾア類(1974年11月)
  • 紅海アカバ湾産ヒドロ虫類5種(1977年11月)
  • 伊豆大島および新島のヒドロ虫類(1983年6月)
  • パナマ湾産の新ヒドロ虫Hydractinia bayeri n.sp.ベイヤーウミヒドラ(1984年6月)
  • 相模湾産ヒドロ虫類(1988年8月)
  • 相模湾産ヒドロ虫類 2(1995年12月)
 ・・・などなど
 
 
自然を愛した昭和天皇には、
様々なエピソードが残されています。
  1. 学習院初等学科5年生の授業で
    カエルの解剖を習い、
    帰宅してからもトノサマガエルの解剖を行い、
    観察後は死骸を箱に入れて庭に埋め、
    「正一位蛙大明神」の称号をお与えになった。


  2. 釣った魚は研究のため全て食べる主義で、
    「ナマコが食べられるのだから、
     ウミウシ(海牛)も食べられるはずだ」と、
    葉山御用邸で料理長にウミウシを調理させ
    召し上がった。
    ただ後に、
    「あまり美味しいものではなかった」と
    述べられた。


  3. 「雑草という植物はない」と述べられた。
  

f:id:linderabella:20200614164803p:plain