「お彼岸」であって先祖を祭る日でした。
またお彼岸に最も近い「戊」の日は、
「社日」として氏子が氏神たる神社に参詣し、
春は「五穀豊穣」を祈り、秋は実りある「収穫に感謝する」
習わしがありました。
明治11(1978)年に、それまでの歴代天皇や主たる皇族の忌日を
春と秋にまとめ奉祀することとなり、
明治41(1908)年9月19日制定の「皇室祭祀令」で
「春季皇霊祭」・「秋季皇霊祭」ともに大祭に指定されます。
(同法は昭和22年5月2日に廃止。
但し、宮中では従来通りの春季皇霊祭・秋季皇霊祭が行われています。 )
春分の日は「春季皇霊祭」、秋分の日は「秋季皇霊祭」が行われ、
宮中において祖先を祭る日となったのをきっかけとして、
一般市民の間でも祭日とされました。
戦後の昭和23(1948)年に二つの祝日は残りましたが、
国として天皇の御霊のお祭りをする日ではなく、
「春分の日」は「自然をたたえ生物をいつくしむ」日に、
「秋分の日」は「祖先をうやまい亡くなった人をしのぶ」日と
法律で定められました。
太陽信仰が「春分の日」に、浄土信仰が「秋分の日」になったと
言えるのかもしれませんが・・・。
柳田國男(民俗学者)
「日本人の死後の観念、即ち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、おそらくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられている」「これが何れの外来宗教の教理とも、明白に食い違う点であると思う」
江藤淳(評論家)
「生者だけが物理的に風景を認識するのではない。その風景も同時に死者が見ている、そういう死者の魂と生者の魂との行き交いがあって、初めてこの日本という国土、文化、伝統が成立している」