暑さ寒さも彼岸まで・・・。
昼夜の長さがほぼ等しく、
気候の変わり目でもあり、
この頃になると、
冬の寒さも夏の暑さも薄れて、
過ごしやすい気候になっています。
お彼岸とは
「お彼岸」は、お墓参りやお供えを通して
御先祖様を供養する期間と考えられています。
お彼岸の意味
元々「彼岸」という言葉は、
サンスクリット語の
「paramita(パーラミタ)」が語源で、
日本においては音写語で
「波羅蜜多 」と表記されます。
この「波羅蜜多」の漢訳が「至彼岸 」、
文字通り「彼岸」に至ること、
「悟りの世界(浄土の世界)へと辿り着く」
という意味になります。
日本の仏教には、「此岸 」と「彼岸 」という
概念があります。
・此岸(しがん)
こちら岸。欲や煩悩にまみれた世界(この世)
・彼岸(ひがん)
向こう岸。仏の住む浄土の世界(悟りの世界、
あの世)
※なお、この此岸と彼岸の間に流れる川のことを
「三途の川」(さんずのかわ)と呼びます。
仏教においては、煩悩と迷いの世界である
「此岸」にいる者、
つまり出家していない者達(在家)が
「六波羅蜜」(ろくはらみつ)の修業を修することで、
「彼岸(悟りの世界)」へ到達することが
出来ると言われています。
「六波羅蜜」とは、次の六つの修行のことです。
1.布施(ふせ)
施しあい恵みあうこと
2.持戒(じかい)
規律を守ること
3.忍辱(にんにく)
辱めや苦しみをじっと耐えること
4.精進(しょうじん)
悟りを求めて常に努力すること
5.禅定(ぜんじょう)
平静な心を保つこと
6.智慧(ちえ)
先のことを見通し正しい判断をすること
インドやChinaに「お彼岸」はない
「パーラミター」は仏教用語なのですが、
仏教のルーツであるインドやChinaに
「お彼岸」という行事はありません。
仏教を開いたお釈迦様は、
そもそも霊魂の存在を認めていません。
人は死後49日で
別の存在に生まれ変わる(輪廻転生)か、
輪廻転生の世界から解脱するか、
いずれかの道に進むというのです。
お彼岸は日本独自の風習
ご先祖があの世に留まり、
「お盆」や「お彼岸」の時期になると
この世にやって来るというのは、
お釈迦様本来の教えではなく、
仏教が伝わる以前から存在していた、
日本に古くから根付いていた
「日願(ひがん)信仰」や「祖先崇拝」の
名残りです。
古来日本における
「日願信仰」(ひがんしんこう)
古来より農作が盛んであった日本では、
作物を育てる太陽と私達を守って下さる
祖先神への感謝を基本とした
「太陽信仰」が定着しており、
この信仰は「日願」(ひがん)とも呼ばれて
いました。
仏教伝来後に生まれた
「彼岸」という考え
西方の遥か彼方に彼岸があるとする
「西方浄土」(さいほうじょうど)の考えから、
太陽が真東から出て真西に沈む
お彼岸の時期は、浄土への道標が出来る時と
されていました。
また昼夜がほぼ同じ長さになることから、
1年の中で、この世と浄土との距離が
最も近くなり、思いが通じやすくなる時と
考えられていました。
前述の「六波羅蜜」を出家していない人達が
毎日実践するのは中々難しいです。
だからこそ、仏教修行を営むのに
最適な「お彼岸」に
特に仏道に励むようになったのです。
この仏教の彼岸の考えが
複雑に絡み合った結果、
真西に沈む太陽を見ながら、
西の果てにあるという「極楽浄土」に住む
祖先に想いを馳せて
「お彼岸」お墓参りをしたりお供えをして
供養する行為も、
「六波羅蜜」の修行の一環と言えます。
「お彼岸」が全部で7日間設けられているのは、
「中日」はご先祖様の供養に徹し、
その他の前後3日間を使って
「六波羅蜜」の修行を
毎日1つずつ実践するためとも言われています。
日本のお彼岸の歴史
「お彼岸」は、平安時代初期から朝廷で行われ、
江戸時代に年中行事化された歴史があります。
平安時代
史書『日本後記』によると、大同元(806)年に、
「彼岸会」が行われた記録があるようです。
『蜻蛉日記』『源氏物語』『更級日記』など、
平安時代を代表する日記や物語にも
「お彼岸」の記述があります。
江戸時代
「お彼岸」の時期に、
お墓参りに行く習わしが始まったのは、
江戸時代の中期以降と言われています。
この頃は気候も良いことから、
江戸っ子達にとっては
娯楽としての意味合いもあり、
6ヵ所の阿弥陀仏をお参りする
「六阿弥陀参り」が流行った他、
午前中は東へ、午後は西へ歩くことで、
太陽のお供をする「日迎え」「日送り」、
山に登る「彼岸籠り」など、
仏教とは直接関係のない行事も
行われるようになりました。