
毎年8月10日は「道の日」、
また8月は「道路ふれあい月間」です。
国や全国の自治体を中心に、
「道路」に因むイベントや広報活動が
行われています。
道の日
毎年8月10日は「道の日」です。
道路は、私達国民の経済を支え、
国民生活を維持するために
欠くことの出来ない基本的施設ですが、
あまりに身近な存在であるために
その重要性が見過ごされがちです。
一方、明日を目指した道路づくり、
円滑な道路整備・道路管理を推進するためには、
国民の理解と協力が必要です。
そこで昭和61(1986)年、
建設省(現在の国土交通省)は、
改めて道路の意義や重要性を再認識し、
関心を持ってもらうために、
8月10日を「道の日」に制定しました。
8月10日を選定した理由は、
日本で最初の道路整備の長期計画である
「第1次道路改良計画」がスタートしたのが
大正9(1920)年8月10日であったことと、
8月1日~31日が「道路ふれあい月間」の
期間中であったことなどによります。
「道路ふれあい月間」
毎年8月1日から31日は「道路ふれあい月間」です。
この月間は、道路を利用している人々に改めて
道路と触れ合い、道路の役割を再認識してもらい、
更には、道路を常に美しく、安全に利用する気運を
高めることを目的としています。
昭和33(1958)年に、当時の建設省により
「道路を守る月間」として制定されました。
当初は「国土建設週間」に合わせて、
毎年7月10日~8月9日に実施されていましたが、昭和44(1969)年に夏休み等における啓発活動を
実施する観点から8月1日~8月31日に変更。
更に平成13(2001)年、国土交通省の発足を契機に
「道路を守る月間」に改称されました。
日本の主な道路政策(終戦まで)
「第一次道路改良計画」以前
日本で最初の道路法制は、
明治4(1871)年の太政官布告第648号で、
私人が通行料をとって道路や橋梁等を整備することを認めるものでした。
明治9(1876)年の太政官布告第60号
「道路ノ等級ヲ廢シ國道縣道里道ヲ定ム」で、
道路を「国道」 「県道」 「里道」の3種類と
定めましたが、この時は国道の路線は
指定されませんでした。
明治18(1885)年、44路線を国道に認定し、
幅員を7間(12.7m)と定めました。
大正8(1919)年に初めて「道路法」を制定し、
明治期の道路路線を廃止して、64路線を新たに
国道(大正国道)として定めました。
自動車の普及
この日以前の道路とされるものは、
自動車の存在を前提としないものでした。
しかし1910年代に自動車が普及し始め、
大正8(1919)年には7千台にまで増加したため、
日本の道路のあり方を根本から
見直さざるを得なくなっていました。
第一次道路改良計画
大正8(1919)年には、自動車交通に主眼を置いた道路の設置、管理などを定めた「道路法」を
制定。
そしてその翌年、大正9(1920)年8月10日、
我が国初の近代的な道路整備計画
「第一次道路改良計画」が策定されました。
「第一次道路改良計画」では、今後30年間で、
国道1775里 (約7千㎞)、橋梁36里 (約141㎞) を
府県で改良するために、
当時の金額で国費1億6600万4千円を投入し、
国と地方が折半、もしくは国が全額出して、
日本の「道」を新時代のものへ
一度にアップデートする、
国家の一大プロジェクトでした。
ところが計画の3分の1を迎えたところで
大正12(1923)年に「関東大震災」が発生。
壊滅的な被害を受けた首都圏を復興するために
道路予算は削減されたことから、
暗礁に乗り上げてしまいます。
とはいえ、この「第一次改良計画」では、
京浜国道(現在の国道15号)、
京阪国道(同国道1号)、
阪神国道(同国道2号)などの主要幹線や
鈴鹿・箱根の2つの峠道が整備され、
一部は舗装もなされます。
何より国家事業として国と地方が折半して
地方道路を整備するという手法は、
現在も一般的となっています。
そしてこの「日本の自動車道路の始まり」
とも言える改良計画の策定を記念して、
昭和61(1986)年に「道の日」が制定されました。
昭和8(1933)には
「第ニ次道路改良計画」が制定され、
計画は継続されましたが、
しかし戦争などによって中断されて
スムーズに計画が遂行されませんでした。
本格的な近代道路整備
昭和28(1953)年に
「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」が
制定され、 翌昭和29(1954)年に
「第1次道路整備計画」され、
本格的な近代道路整備の時代を迎えました。
これに基づいて平成14(2002)年度まで、
12次に渡る「道路整備五箇年計画」が実施され
平成15(2003)年度からは
九つの分野の長期計画を一本化した、
新たな社会資本整備重点計画により、
重点的かつ効率的な整備が推進されました。
道路特定財源制度
「道路特定財源」は、道路整備の費用を
自動車利用者に負担してもらうという
受益者負担の考え方に基づき、
自動車関連の税金(ガソリン税、
軽油引取税、自動車重量税など)を
道路整備に限定して使用する制度です。
昭和28(1953)年に、
「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」が
衆議院議員田中角栄らの議員立法により作られ、
ガソリンにかかる「揮発油税」が道路整備の
「特定財源」とされたことに始まります。
その後、自動車は急速に普及したことから、
道路整備の重要性は更に高まり、
道路整備のための財源として
「道路特定財源諸税」が
新たに創設・拡充されてきました。
ところが、平成13(2001)年に始まった
小泉内閣の構造改革に端を発し、
福田内閣では、平成20(2008)年5月に
「道路特定財源等に関する基本方針」が
閣議決定され、
「道路特定財源制度」が
平成21(2009)年度から廃止され、
「道路特定財源」は使いみちを特定せず、
どのような経費にも使用できる
「一般財源」に変わりました。
道路整備が進み、
税収が整備費用を上回る状況になったことや、
特定財源の使途に対する国民の疑問や不満が
高まったことが理由です。
(これなら、自動車関連の税金を止めるのが
筋だと思うのですが?)
またガソリン税・軽油取引税の
「暫定税率分」については
制度自体は廃止になりましたが、
国は特例税率として引き続き維持されて
います。
暫定税率
ガソリン税の「暫定税率」とは、
本来のガソリン税に上乗せで設定されている、
時限的な税率です。
暫定税率が「時限的な措置」として
適用されたのは昭和49(1974)年です。
1970年代に発生したオイルショックを契機に、
道路整備などの財源不足を補うために
「一時的」措置として導入されました。
この導入から今日まで、
上乗せ状態は50年以上継続されてきました。
ガソリンにかかる税金のしくみ
ガソリンには高い税金がかかっていることを
知っている人は多いでしょう。
具体的には、以下の種類の税金です(1L当たり)。
購入価格の4割以上が税金となっています。
・石油石炭税:2.8円
・ガソリン税:53.8円
・消 費 税:10%
「ガソリン税」とは、
ガソリンを中心とする揮発油に課される
揮発油税と地方揮発油税の総称です。
本来の課税額は1L当たり28.7円
(揮発油税24.3円、地方揮発油税4.4円)ですが、
これに1L当たり25.1円の暫定税率が上乗せされ、
合計で1L当たり53.8円のガソリン税が
課税されています。
戦後まもなく創設された「ガソリン税」は、
当初は「道路特定財源」となる「目的税」
でした。
ところが道路財源の不足を理由に、
2年間の暫定措置として5.8円引き上げました。
これが「暫定税率」の始まりです。
その後、税率は2度引き上げられ、
昭和54(1979)年に現在の水準になりました。
平成21(2009)年に「ガソリン税」が
道路特定財源ではなく一般財源となってからも、
「暫定税率」は特例税率として
上乗せ税率は残され、現在に至っています。
実は過去に一度、「暫定税率」がなかった
時期があります。
平成20(2008)年、自公の与党は、法改正案に
「暫定税率」の維持を盛り込みましたが、
衆参ねじれ国会の状況下で、
「暫定税率」の廃止を求める
民主党など野党と折り合わず、
そのまま平成20(2008)年3月31日に
「暫定税率」は期限切れしてしまったのです。
翌4月1日から、ガソリン価格は大幅下落。
しかしその後、与党は「暫定税率」を
復活させる税制法改正案を採決したため、
「暫定税率」の期限切れから1か月後の
5月1日からは再びガソリン価格は上がって
しまいました。
トリガー条項
これに対して、平成22(2010)年に
当時の民主党政権が「トリガー条項」を導入。
ガソリン価格が高騰した時にそれを抑えるため
暫定税率分が減税され、
下落した時には復活するというものです。
具体的には、全国平均のガソリンの小売価格が
1L当たり160円を3か月連続で超えた場合、
翌月から「暫定税率分」が減税され、
3か月連続で130円を下回った場合、
「暫定税率」が復活します。
しかし平成23(2011)年の「東日本大震災」の
復興財源確保という名目で、
トリガー条項は凍結されました。
凍結状態は今でも続いており、
「ウクライナ危機」以降も、
トリガー条項の凍結解除ではなく
石油元売り事業者への「補助金」で
対応しています。
どうなる「暫定税率」廃止
ガソリン税の「暫定税率」を巡って、
与野党6党の国会対策委員長が
年内に廃止することで合意し、
協議が行われていますが、
どうなることでしょうか?