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1月22日はカレーの日

 

カレーの日

 
1月22日は、「カレーの日」です。
日付は昭和57(1982)年1月22日に
「全国学校栄養士協議会」が
学校給食週間の前に、子供達に好まれていた
全国の学校給食メニューとして
「カレー」の提供を呼び掛けたことに
因んでいます。
 
 
カレーを製造する事業者の全国団体
国民食と言われるまでに普及した
カレーのより一層の普及拡大により、
健康で豊かな消費生活の実現に寄与することを
目的に制定しました。

www.curry.or.jp

 

日本のカレーの歴史

 
インドを中心とした熱帯、亜熱帯地方での
スパイシーな料理を総称して
英語で「カレー(Curry)」と呼びます。
 
 
17世紀、インドを統治していた英国に
「カレー料理」が伝えられて
王室メニューに加えられるとその後、
欧風にアレンジされたものが、
一般家庭にも広がるようになり、
18世紀末にcross & blackwellクロス&ブラックウェルにより
カレー粉が製造され市販されると、
カレー料理は欧州諸国で一時流行しました。
日本には、明治初期に、
cross & blackwellクロス&ブラックウェルのカレー粉が渡来し、
米飯と結びついて「ライスカレー」として
国内に広まりました。
   
日本国内にカレーを広く浸透させた契機は、
軍隊食メニューに「ライスカレー」が
採用されたことにあります。
 
 
更に戦後の学校給食に
カレーが採用されたことも、
カレー普及の大きな力となりました。
そして明治の末期には、
ライスカレー、カレーうどん、カレーそばが
食堂のメニューとなった他、
大正に入ると、カレー粉の国産化が開始され、
大正末期には粉状タイプの「カレールウ」も
散見されるようになりました。
 
  
 
第二次大戦後の昭和25〜6年には
各メーカーにより各種タイプカレールウが
次々と開発されました。
昭和40年代半ばには、日本の独創品である
「レトルトカレー」が、
昭和60年代には「電子レンジカレー」も
発売されました。 
 
 

カレーの最高の友「福神漬」

 
「カレーライス」に「福神漬」が
初めて添えられたのは、
明治35(1902)年頃、欧州航路船の食堂だと
言われています。
食堂で出されていたカレーの付け合せの
「チャツネ」が切れてしまった時に
「福神漬」を代用品として出したところ
大評判になったのがきっかけでした。
「福神漬」の発祥については諸説ありますが、
東京上野の「山田屋」が発明したとの石碑が
西日暮里のお寺に残されています。
『明治事物起源』によると、
徳川幕府漬物方山田喜兵衛が
野菜の味噌溜り漬けを開発し、
それを引き継いだ息子の山田箕之助が
発明したとする説が有力となっています。
 
そして如何にもおめでたい
「福神漬」の名付け親は、明治時代の流行作家・
梅亭金鵞(ばいていきんが )と言われています。
 
 
7種類の野菜が入っていることから、
それらを七福神の神様に見立てて
命名したという説が有名です。
「福神漬」を考案した店の近くに
七福神が祀られていたことから考えついた
という説もあります。
「これさえあればおかずがいらないくらい
 美味しく、食費が浮く福の神のような漬物」
という意味で「福神漬」という名前になった
という説もあります。
なお農林水産省が定めた定義によると、
「福神漬」とは、
「大根、なす、うり、きゅうり、生姜、
 なたまめ、レンコン、しそ、たけのこ、
 椎茸」などのうちから、5種類以上の原料を
主原料としたものとされています。