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コツコツと

新・秋の七草

秋の七草」と言えば、萩・尾花・
葛・撫子・女郎花・藤袴・桔梗です。
 

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昭和10(1935)年に、毎日新聞社の前身の
「東京日々新聞社」(とうきょうにちにちしんぶん)が「秋の七草」とは別に
「新・秋の七草」を選ぼうという試みがなされ、
当時の著名人七人に、「新・秋の七草」を
一つずつを挙げてもらいました。
 
その顔ぶれと彼らが選んだ花は次の通りです。
 
 
 
1.長谷川時雨「雁来紅」
 
長谷川 時雨(はせがわ しぐれ)は、
明治から昭和期の劇作家、小説家です。
日本初の女性歌舞伎の作家となり、
明治44(1911)年には『さくら吹雪』が上演され、
劇作家として地位を確立しました。
また雑誌や新聞を発行し、林芙美子や円地文子など、多くの女流作家を登場させました。
 
 
「雁来紅」(がんらいこう)とは、
「葉鶏頭」(はけいとう)の雅名です。
雁が渡って来る頃に葉が赤く色づくことから
名付けられました。
清少納言『枕草子』にも「かまつかの花」として
登場し「雁の来る花とぞ文字には書きたる」と
記され、古くから観賞されてきました。
 
「葉鶏頭」はヒユ属で、ケイトウ属の「鶏頭」とは分類的には違う植物です。
どちらも秋になると鮮やかな赤や黄に染まり、
「鶏頭」が花を観賞するのに対し、
「葉鶏頭」は葉を観賞します。
近年、スーパーフードとして人気の
「アマランサス」は「葉鶏頭」の仲間です。
 
 
2.菊池 寛「コスモス」
 
菊池 寛(きくち かん)は、
時事新報社の社会部記者の傍ら、
短編小説『無名作家の日記』『恩讐の彼方に』
などを発表し、文壇での地位を確立しました。
文藝春秋社を創設し『文藝春秋』を創刊。
「日本文藝家協会」を組織した他、「菊池寛賞」
「芥川龍之介賞」「直木三十五賞」を創設。
大映社長として映画事業にも参画し、
作家の育成、文芸の普及に努めました。
 
 
菊池寛は「コスモス」を推薦した理由を
恋人同士のプレゼントにも使われない
ごく平凡な花で、秋の風物に相応しいからと
しています。
後日、同じ新聞で500人の学生を対象に
「新・秋の七草」の中で好きなものを
調査したところ「コスモス」は
全体の2位だったということです。
コスモス」特有の繊細さ独特の風貌が
この結果の理由だろうと言われています。
 

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3.斉藤茂吉「曼珠沙華」
 
斎藤茂吉(さいとう もきち)は、精神科医でありながら
歌人としても優れた歌を残し、
近代短歌を確立した人物です。
昭和26(1951)年は「文化勲章」を受章。
 
 
秋のかぜ 吹きてゐたれば 遠かたの
薄のなかに 曼珠沙華赤し
 
『齋藤茂吉全集 第六巻』(岩波書店)の中にある
曼珠沙華」という随筆が収められています。
 

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4.高浜虚子「赤まんま」
 
高浜 虚子(たかはま きょし)は、俳人、小説家。
正岡子規に師事し、明治31(1898)年には
『ホトトギス』を引き継いで経営し、
夏目漱石の『吾輩は猫である』を連載しました。
昭和29(1954)年に「文化勲章」受章。
 
・溝そばと 赤のまんまと 咲きうづみ
・此辺の 道はよく知り 赤のまゝ
 
「赤のまま(赤のまんま)」は初秋の季語で
野草の「イヌタデ」の花のことです。
 
初秋、小粒の穂状の紫紅色の花を咲かせ、
この粒状の花をしごき取り、赤飯に見立てて、
ままごとに使って遊んだことから、
「赤の飯(まんま)」と呼ばれました。
 
 
5.牧野富太郎「菊」
 
牧野 富太郎(まきの とみたろう)は、
多くの新種を発見・命名し、植物学の啓蒙にも
努めた、日本の植物分類学の父です。
小学校を中退、独学で植物学を学びました。
昭和2(1927)年理学博士、25年日本学士院会員。
死後、「文化勲章」を贈られました。
 
 
 
6.与謝野晶子「おしろい花」
 
与謝野 晶子(よさの あきこ)は、歌人、詩人。『明星』に短歌を掲載し、明治34年に発表した『みだれ髪』は反響を呼びました。
日本浪漫主義を代表する歌人として
多くの歌集を発表しました。
日露戦争の際発表した詩
「君死にたまふことなかれ」も著名。
 
 
「おしろい花」は、夏から秋の
午後4時頃から咲き始める植物です。
花びらに見える部分は「咢」(がく)で、
1枝の枝から異なった色の花を咲かせます。
種子は大きく、割ると白い粉が出て来るので、
子供達がこの粉を「おしろい」のように
顔に塗って遊んだことから
「おしろい花」の名前がつけられたそうです。
別名「夕化粧」とも呼ばれます。
 
 
7.永井荷風「秋海棠」(しゅうかいどう)
 
永井 荷風(ながい かふう)は、
明治・大正・昭和期の小説家で随筆家です。
『あめりか物語』『ふらんす物語』など
多くの作品を発表し、耽美派を代表する
流行作家となりました。
『断腸亭日乗』という日記を書きました。
 
「秋海棠」(しゅかいどう)は、薄桃色の花が
バラ科の「海棠」(かいどう)に似た花を秋に
咲かせることから、その名をもらいました。
垣根や家の日影を好んで花を咲かすことから、
別名「断腸花」と言います。
一日中、垣根から身を乗り出すようにして、
腸がちぎれるほど悲しくて辛い思いで
男性の帰りを待つ女性の流した涙がやがて
「秋海棠」の花となって咲いたというのです。
その清楚な姿と色合いで風流人に好まれ、
茶花や投入花にも用いられてきました。
 
荷風もこの花を愛し、庭に植え、
家に「断腸亭」の名を付けました。
日記の名前はこれに由来します。