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コツコツと

「桜」の儚さや美しさからつけられた異名

 

「桜」(さくら)の別名は、
咲いて散るその儚さや美しさからつけられた
別名があります。
別名の方が桜の儚さと美しさを
直感的に感じられるのではないでしょうか。
 
 

曙草(あけぼのそう)

 
曙(夜明け)に、うっすらと空が
紅に染まる様子が桜の色に似ていることから
名付けられたと言われています。
 
「曙草」(あけぼのそう)という名前は、
平安時代末期から鎌倉時代初期の歌人・
藤原俊成(ふじわらのとしなり)の詠んだ次の句から
呼ばれるようになったと言われています。
 
 またや見ん 交野かたののみ野の 桜狩り
 花の雪散る春のあけぼの

<現代語訳>
また見ることがあるだろうか、いや、ないだろう。
交野のみ野での花見で、桜の花が雪のように
舞い散る、この春のあけぼののすばらしい景色を。
 
 
リンドウ科センブリ属に「アケボノソウ」という
一年草があります。
和名は、花冠の斑点を夜明けの星空に見立てた
ことに由来します。
 

夢見草(ゆめみぐさ)

 
桜の花が咲く様子が夢のように美しく、
そして儚いことから「夢見草」(ゆめみぐさ)
名付けられたそうです。
 
松尾芭蕉が師と仰ぐ北村季吟は、
次のように詠んでいます。
 
 夢見草のむかしや今にかへりばな

<現代語訳>
  夢のように美しいこの花を見ていると、
  昔の思い出が鮮やかに甦ってくることだ
 
なお「夢見草」(ゆめみぐさ)が咲くので、
旧暦3月を「夢見月」(ゆめみづき)とも言います。
 

手向け花(たむけばな)

 
江戸時代の浮世草子作家・井原西鶴が
『好色五人女』に記したように、
「桜」を死者の霊に手向けたことから。
または神にこの花を手向けたことから、
この名が付いたと言われています。
 
 
 手向け花とて、咲き遅れし桜を
 一本持たせけるに・・・

<現代語訳>
  手向け花として、遅咲きの桜を
  死者に持たせてやる・・・
 
「手向け」(たむけ)とは、神様や仏様、
死者の霊にお供え物を捧げることを言います。
古来より日本人は、
桜の木には神や精霊が宿ると考えていたため、
桜の花は、神聖なお供え物として相応しい
花だったのかもしれません。
 

挿頭草(かざしぐさ)

 
奈良時代の万葉歌人・山部赤人(やまべ の あかひと)が詠んだ句から、桜は「挿頭草」(かざしぐさ)
呼ばれるようになったと言われています。
 
  ももしきの 大宮人は いとまあれや
  桜かざしてけふもくらしつ

<現代語訳>
大宮人は暇があるのかなあ 
今日も桜を頭に挿して一日遊び暮らしていた
 
「大宮人」(おおみやびと)とは
宮中に仕える人のことで、神事に際して、
植物の生命力を身につけるという意味で
「挿頭」(かざし)という草花を
髪や冠に挿していたようです。
 
挿す花には「桜」の他、黄葉・梅・萩・
瞿麦(なでしこ)・柳・藤・山吹などがあり、
挿す人や行事によって種類が違いました。
 
「桜の花」は、
列見の時に、納言・祭りの舞人などが
冠の頂上後部に高く突き出ている、
(もとどり)を納める壺形の「巾子」(こじ)
右に挿しました。
 

吉野草(よしのぐさ)

 
山桜の名所「吉野山」には、古来より
日本に伝わる桜が数多く植わっており、
桜の季節になると、200種類以上3万本もの
桜が咲き乱れます。
その「吉野山」から「吉野草」という
名前の由来と言われています。
 
 
日本固有種で、奈良県の吉野山によく見られる
ことから「吉野草」(よしのそう)と名付けられた
キク科クサヤツデ属の多年草があります。
草八手くさやつで」「肝木草かんぼくそう」とも言います。
神奈川県以南の太平洋側の山林に自生します。
ヤツデのように深い切れ込みの入る葉で、
秋に40cm程の花茎を立ち上げ、
細くカールした花弁の可憐な花を咲かせます。
 

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徒名草(あだなぐさ)

 
「徒」(あだ)には、色々な意味がありますが、
「一時的でかりそめな」とか
「儚く脆い」いう意味もあります。
 
儚く、散り急ぐ桜の様子から、
「徒名草」(あだなぐさ)とか「徒桜」(あだざくら)
と名付けられたと言われています。
 
 
 
親鸞聖人は次のような歌を詠んで、
世の中や人生の無常さを説いています。
 
 明日ありと 思う心の徒桜
 夜半に嵐の吹かぬものかは

<現代語訳>
 明日見ようと思っていた桜が、
 夜のうちに嵐で散ってしまうかもしれないように
 世の中はどうなるかわからない
 

花王

「花王」と言えば
「牡丹」を指すこともあるですが、
多くの日本人にとって「花の王」と言えば、
やはり「桜」ですね。