うまずたゆまず

コツコツと

花嵐(はなあらし)

 
桜の花が咲く頃は、
冬と夏の季節風の変わり目で、
日本列島を前線が通過して
小さな低気圧が発生しやすくなるため、
天気が不安定になり、
荒れ模様になるような気がします。
 
ぐっと冷え込んで「花冷え」になったり、
花を散らさんばかりに「桜雨」が降ったり。
令和4(2022)年には、
桜が開花したばかりの東京都心で、
雨と雪が混在して降る
「みぞれ」を観測しています。
 
桜の花が盛りの頃に吹く荒々しい風、
またはその風で桜の花びらが嵐のように
散ることを「花嵐」(はなあらし)と言います。
 
 

花冷え(はなびえ)

桜の咲く頃、天候が不安定で
急に冷え込むことがありますが、
その冷え冷えとした感じを
「花冷え」と言います。
 
大正時代以降に使われるようになった
そうです。
 
全国的に見られる現象ですが、
特に京都の「花冷え」はよく知られており、
京都発祥の言葉とする説もあります。
 

花風(はなかぜ)

 
桜の花が盛りの頃に吹く、
桜を吹き散らす風のこと。
 
桜まじ(さくらまじ)
 
桜の咲く頃に吹く南風のこと。
「まじ(まぜ)」は西日本の漁師の言葉で、
4月頃に吹く南寄りの風のことです。
「桜まじ」が吹くと、花の大枝が煽られて、
咲いたばかりの花が散り急いでしまいます。
 
花散らし(はなちらし)
「桜まじ」の後、
豪雨を伴う南風「花散らし」が吹いて、
折角の桜の花を台無しにしてしまいます。
迷惑な風や雨のことです。
 
元々「花散らし」という言葉は
中部以西の地方で、
旧暦3月3日の「雛の節句」の頃に、
海辺に出て酒盛りなどをして
遊んだ習慣を指したようです。
 
桜東風(さくらごち)
「桜東風」(さくらごち)は、
桜が咲く頃に吹く東風のことです。
 
春に東の方向から吹く風「東風」(ごち)は、
早春だけでなく、
三春(初春・仲春・晩春)に渡って
広く使われる季語で、
時期などに応じた名前が付けられています。
 
・正東風(まごち) :真東から吹いてくる春風
・強東風(つよごち):東から強く吹く春風
・荒東風(あらごち):東から荒々しく吹く春風
・雨東風(あめごち):雨混じりの
・朝東風(あさごち):朝、東から吹く春風
・夕東風(ゆうごち):夕方、東から吹く春風
 
・鰆東風(さわらごち)
 サワラ漁が始まった頃に吹く東風
・いなだ東風
 ブリの幼魚が漁れる頃に吹く東風
・雲雀東風(ひばりごち)
 ヒバリが鳴く頃に吹く東風
・椿東風(つばきごち)
 真っ赤な椿が咲く頃に吹く東風
・梅東風(うめごち)
 梅の花が咲く頃に吹く東風
 

花曇(はなくもり)

桜の花が咲く頃の薄曇りの天気、または、
その時期の曇りがちの薄明るい日のことを
「花曇」(はなくもり)と言います。
 
この頃は大きく崩れることは少ないものの、すっきりしない空模様の日が多く、
肌寒さすら感じることもあります。
 
養花天(ようかてん)
桜の咲く頃の曇り空のことです。
 
江戸時代からよく詠まれた季語で、
天明3(1783)年に刊行された季寄せ
『年浪草』(としなみぐさ)
「半晴半陰これを花曇と謂ふ。
 養花天、これに同じ」とあります。
 

花の雨(はなのあめ)

桜の花の咲く頃に降る冷たい雨、
または桜の花に降り注ぐ雨のことです。
また、桜の花が散る様を雨に見立てて
用いることもあります。
 
「桜雨」(さくらあめ)
桜の花の咲く頃の雨のこと。
桜の花びらは、
僅かな雨や風でも散ってしまうため、
春の名残りを惜しむ情感溢れる言葉です。
 
これから「花見」を楽しもうとする人々には、
「強く降って花を散らさないで」と
祈らせるものであり、
花も終わりの頃に降る雨ならば、
「今年の桜も終わり」と感慨深くなります。
次は、気持良い新緑の季節です。
 
花時雨(はなしぐれ)
桜が咲く頃に降る冷たいにわか雨のことです。
サッと降って、すぐに上がる
「時雨」(しぐれ)のような雨です。
「時雨」は冬の季語のため、
春咲く「花」をつけて「花時雨」としています。
 
桜流し
桜を散らしてしまう雨のこと。
または、季節が終わって散った
桜の花びらが水に流されていく様子を
表現する言葉です。
 

桜隠し(さくらかくし)

春、桜の花が咲く頃に、
雪が降ることや満開の桜に積もる雪のことを
雪により桜の花が隠れてしまうことから、
「桜隠し」(さくらかくし)と言います。
 
元は新潟県の東蒲原 (ひがしかんばら) 地域で
用いられていた言葉で、魚沼地域では
「蛙の目隠し」「雁の目隠し」とも
呼ばれています。
 
南岸低気圧の発達がにより、首都圏などでも
「桜隠し」に遭うことがあります。
 

花に嵐(はなにあらし)
「さよならだけが人生だ」

「花に嵐」(はなにあらし)とは、
良い物事には、
とかく邪魔が入りやすいことのたとえです。
 
良い物事を「花」に見立て、
「嵐」はそれを散らして吹く激しい風。
キレイに咲いた桜の花が
激しい風が吹いて
撒き散らしてしまうことから、
良い事にはとかく邪魔が入りやすいことを
言います。
 
ところで、小説家・井伏鱒二の名言に
「さよならだけが人生だ」というものが
あります。
これは、唐代の詩人・于武陵(うぶ輌)
『勧酒』(かんしゅ)という漢詩から来ている
そうです。
 
花発多風雨 人生足別離
花が風雨で散るように、人生は別れの繰り返しだ
 
 
別れの酒宴を詠んだこの漢詩を井伏は
「花に嵐のたとへもあるぞ
 さよならだけが人生だ」と大胆に
和訳しました。
出会いと別れの季節、
春に思い出したい名訳です。