うまずたゆまず

コツコツと

「師走朔日」「川浸り朔日」「乙子の朔日」

いよいよ今日から12月。
一年の締めくくりとなる、何かと気忙しい
一カ月の始まりです。
この12月1日の呼び方には
「師走朔日」 (しわすついたち)の他にも、
「川浸り朔日」(かわびたりついたち)とか
「乙子の朔日」(おとごのついたち)
というものもあります。
 
 

師走

12月の異称である「師走」(しわす)の由来は、僧侶のような普段落ちついている人でも、
この月は多忙で走り回るようになるという
意味から名付けられたという説があります。
 
なぜ僧侶は歳末に忙しくなるのかというと、
毎年年末に「仏名会」(ぶつみょうえ)という
法要があるからです。
 

 
「仏名会」(ぶつみょうえ)とは、
「三世諸仏」(さんぜしょぶつ)の御名を唱えて、
今年一年にしてしまった様々な罪や
知らず知らずのうちに作ってしまった罪業等を
懺悔し、滅罪生善(めつざいしょうぜん)を祈る
法要のことです。
家の大掃除に対して、心の大掃除とも
言われています。
 
奈良時代に初めて宮中で始まり、
平安時代には宮中での恒例行事となり、
その後、各地に広まり、寺院などで
かつては12月19日から3日間行われました。
 
 
 
「三世諸仏」(さんぜしょぶつ)
過去・現在・未来の3世に渡って存在する
一切の仏のこと。
 
「滅罪生善」(めつざいしょうぜん)
現世の罪障を消滅させ、死後の善報を生じ
させること。
 

「川浸り朔日」
(かわびたりついたち)

今ではほぼ忘れられている儀礼ですが、
かつて12月1日のことを
「川浸り朔日」(かわびたりついたち)と言って、
餅や団子を水神に供え、尻を川に付けるなど、
少々奇妙な習俗がありました。
 
「川浸りの朔日」(かわびたりのついたち)の他、
「川渡りの朔日」(かわわたりのついたち)
「水こぼしの朔日」、
「乙子の朔日」(おとごのついたち)
などとも呼ばれています。
かつては衣類や野菜を川で洗ったり、
夕食の菜にするため魚を取ったり、
あるいは盆に精霊を流したりと、
川は生活に近いもので、
子供にとっては遊び場でもありました。
しかし、それだけに事故も多く、
また大雨による洪水や日照りの時の渇水も
頭の痛い問題でした。
 
 
そこで事故や災害が起こらないように、
東国では、12月1日を「川浸り朔日」と呼んで、
水神や川の神に餅や団子を供えて願ったのです。
 
 
この日に「尻を川に浸す」のは、
「河童に襲われないため」
などと言われているのですが、
水神を祀る前に行っていた
「禊」(みそぎ)が省略されたのだ思われます。
ただ現在は、川が日々の生活から切り離されてしまったため、廃れてしまったようです。
 

「乙子の朔日」
(おとごのついたち)

 
一方西日本では、
「乙子の朔日」(おとごのついたち)という
水神を祭る風習が全国的に残っています。
 
「乙子」(おとご)とは、「弟」「末っ子」の意味で、
陰暦の12月、朔日は「1日」の事なので、
「乙子の朔日」は「12月1日」を指しています。因みに「乙女」は「妹」の意味で、
姉のことは「兄姫」(えひめ)と言います。

 
 
この日は、具体的には、
「小豆餅」を搗いて食べたり、
餅や団子を川へ投げ入れたりすると
水難を免れると言われています。
万が一、小豆を食べないうちに橋を渡ると、
祟りがあると言われました。
 
 
この餅を、「乙子の餅」とか
「川浸り餅」「川渡り餅」などと呼んで、
河童に引き込まれないように
川に投げ入れて河童に与えてやるとか、
これを食べると川で溺れないなどと
言われています。
この他、水難除けに
「朝、鳥が鳴く前に茄子の漬物を食べる」(兵庫県)、
「餅や団子を膝に塗る」(近畿・中国地方)、
「朝搗いた餅を川に投げる」(栃木県)
たりなどといったことが行われました。
 
 
なお「茄子の漬け物」を食べるのは、
借金があっても「返済(なす)」が早まるため
と言われています。