3月16日と11月16日は「十六団子の日」です。
十六団子の日とは
この日は杵と臼を使って餅つきをし、
餅をつく音で
農耕の神様に山と田を行き来する日であることを
知らせていた日です。
そして出来たお餅は、
小さく丸めて16個の団子を作りお供えします。
田の神様
日本には、古くから山には神様が住んでいると考えられていて、
信仰の対象として祀ってきました。
春になると神様が種子を抱えて山から里へ降りて来て
「田の神」として農耕を見守り、
収穫が終わる秋になると山に戻って「山の神」となって
田畑を見守るという言い伝えがあり、
この思想は「神去来」(かみきょらい)と呼ばれています。
山から降りてくる日が3月16日で、
山に帰る日が11月16日とされています。
十六団子
昔から、農作業の中でも重要な農作業の一つである
「田植え」の時期に当たる3月16日には、
豊作を祈願して日本各地で「神迎の儀式」が執り行われています。

田の神様は杵が臼を叩く「ゴン、ゴン」という音を聞きつけて、
山から降りてくると伝えられていることから、
お迎えする日付に因んで、杵と臼で搗いたお餅で16個の団子を作り、
枡の中に入れて神様にお供えする慣わしがあり、
このお供え物は「十六団子」と呼ばれています。
現在、杵と臼でお団子を作ってお供えをする農家さんは
少なくなっているようですが、
今でも3月16日になると
白玉粉や米粉などでお団子を作ってお供えする農家さんも
いらっしゃるようです。
農家ではない方も、今年もおいしいお米が食べられるように
お団子を作って五穀豊穣祈願をしてみるのもいいかもしれませんね。
「16」という数字の意味
平安中期(794年~1192年頃)の
第54代・仁明天皇(にんみょうてんのう)の御代、
疫病が蔓延しました。
西暦848年(承和15年・嘉祥元年)の夏、
天皇は御神託に基づいて、
6月16日に16の数に因んだ菓子、餅などを神前に供えて、
疫病を除け健康招福を祈誓して、
「嘉祥」(かしょう/かじょう)と改元しました。
「嘉祥」とは文字通り「めでたいしるし」という意味です。
鎌倉時代には、後の後嵯峨天皇が東宮となられる前に、
6月16日に通貨16枚で御供えの菓子などを求めて献じ
それを吉例とし、
皇位継承の後も、毎年6月16日に菓子を食べる
「嘉祥の日」という習慣が出来、
明治時代まで盛んに行われていました。
嘉祥の日
室町時代の「嘉祥の日」には、
朝廷では主上に「かづう」を差し上げるのが吉例であったと
『御湯殿上日記』に記載されています。
「かつう(かずうともいう)」とは、
女房言葉で「嘉祥の祝」の菓子のことを言います。
慶長の頃、豊臣秀吉が「嘉祥の祝」を恒例として行っていたことが
『武徳編年集成・四十四』に記載されています。
嘉祥頂戴
この日、江戸幕府において、
大名、旗本など御目見得以上の諸士に大広間で菓子を賜りること。
菓子は白木の片木の上に青杉の葉を敷いてその上に積んであり、
一人一個ずつ取らせたとそうです。
嘉祥喰(かじょうぐい)
庶民の間にも、6月16日になると無病息災を願い、
銭16文で菓子や餅16個を求め食べるしきたりがありました。
そして笑わずに食べ切れれば、無病息災が叶うとされていました。
また、「嘉祥縫」と言って、
この夜に十六歳の「袖止め」といって、
振り袖をやめて詰め袖にするという風習がありました。
他にも「嘉祥の梅」と言って、
6月16日に採った梅の実で作った梅干しを旅立ちの日に食べると
災難をのがれるという言い伝えがありました。
「十六団子の行事」の現在
「十六団子の行事」は、
現在でも、主に東北地方や北陸地方で行われています。
現在ではさすがに杵臼を使うことは減り、
米粉や片栗粉で作られているようです。
神が山と里を行き来する日や、
団子の作り方や供える場所などについては
地域や家庭によって異なっているのが実情のようです。
また「嘉祥の日」は、
6月16日には様々なイベントが開催されています。