「新嘗祭」とは
新たに穀物が収穫出来た事を神様に感謝するお祀りで、
天皇陛下が、神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになって、
神恩を感謝された後、陛下自らもお召し上がりになる祭典です。
宮中恒例祭典の中の最も重要なものです。
天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになります。
全国の神社でも「新嘗祭」が行われます。
また古くは庶民もこの祭りをし、その年の収穫を感謝していました。
伊勢神宮では、次の様に説明しています。
祈年祭・新嘗祭『日本書紀』に天照大御神が斎庭(ゆにわ)の稲穂を天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けられたことが記され、そこに日本の始まりが位置づけられることは大きな意味を持ちます。春に豊作を祈り、秋の収穫に感謝する稲作を中心とした営みを、日本人は2000年以上繰り返して来ました。天皇陛下から国民に至るまで神を祀ることは日本の大切な文化です。
新嘗祭の由来と遠隔新嘗祭は「しんじょうさい」ともいい、「新」は新穀を「嘗」は奉ること意味し、収穫された新穀を神に奉り、その恵みに感謝し、国家安泰、国民の繁栄をお祈りします。現在、このお祭りは毎年11月23日に宮中を始め、日本全国の神社で行われていますが、特に宮中では天皇陛下が自らお育てになった新穀を奉るとともに、御自らもその新穀をお召し上がりになります。収穫感謝のお祭りが11月下旬に行われるのは東北や北陸などの収穫を天皇が待っておられると説明されています。神宮では神嘗祭で新穀が奉られるため、新嘗祭はありませんでしたが、明治5年に勅使が差遣されて行われたのが始まりです。
宮中で行われる「新嘗祭」
「新嘗祭」は、宮中三殿で行われます。
主に、
- 「鎮魂祭」
- 「新嘗祭賢所・皇霊殿・神殿の儀」
- 「神嘉殿の儀」
の3つの儀式で構成されています。
まず、新嘗祭の前日に、
綾綺殿(りょうきでん)で「鎮魂祭」が行われ、
新嘗祭に臨む天皇陛下の霊を強化するといった儀式が斎行されます。
新嘗祭の当日は、
まず、「新嘗祭賢所・皇霊殿・神殿の儀」が行われます。
これは、宮中三殿にお祀りされている
皇祖天照大神を始め、天神地祇(てんじんちぎ)、歴代天皇の御霊(みたま)に
奉告する儀式です。
具体的には、陛下ではなく、掌典職(しょうてんしょく)が
「神饌(しんせん)」と「幣帛(へいはく)」をお供えして、代拝を行います。
これが終わると、
新嘗祭の舞台である神嘉殿(しんかでん)の準備が始まります。
新嘗祭の舞台である神嘉殿(しんかでん)の準備が始まります。
「掌典長(しょうてんちょう)」以下の皆さんにより、
神嘉殿(しんかでん)内の母屋に「神座(しんざ)」「御座(ぎょざ)」「寝座」が
設置されます。
そして、いよいよ
「神嘉殿(しんかでん)の儀」が行われます。
「夕御饌(ゆうみけ)の儀」(18時~20時)と
「朝御饌(あさみけ)の儀」(23時~1時)の
二部構成で、それぞれ同じ内容を行われます。
日本各地で行われている「新嘗祭」
宮中だけでなく、新穀を神様に捧げることは広く行われていて、
各地に残る農耕儀礼にもその名残を見ることが出来ます。
日本人は祭事を通して神様の恵みに感謝を捧げてきました。
代表的なものに、
能登半島の「アエノコト」や東日本の「十日夜」などがあります。
十日夜
「十日夜」とは、
旧暦10月10日に行われる収穫祭で、
東日本に多く見られます。
稲刈りが終わって田の神様が山に帰る日とされているため、
稲の収穫を祝ってお餅をついて食べたり、
稲の茎を束ねた「わらづと」や「わら鉄砲」で
地面を叩きながら唱え事をして地面の神を励まし、
作物にいたずらをするモグラを追い払ったり、
「かかしあげ」と言って、
田んぼを見守ってくれたかかしにお供えものをし、
かかしにお月見をさせてあげる地方もあります。
亥の子
一方、西日本では、
旧暦10月「亥の子の日」や11月に
「亥の子祭り」と呼ばれる類似する収穫の行事が行われます。
アエノコト
稲作を守る田の神様に感謝と祈りを捧げる
奥能登の代表的な民俗行事で、
「アエ」は饗宴、「コト」は神事の意味です。
12月5日、収穫を終えた田んぼから夫婦神である「田の神様」を迎え、
現実には見えない神様がまるでそこにいるかのように、
家の主人が語りかけ、ごちそうでもてなし、感謝の気持ちを表します。
「田の神様」は、冬の間家族と一緒に過ごし、
翌春の2月9日に田んぼに戻ってきます。
昭和59年に国の重要無形文化財に指定されました。