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古暦(ふるごよみ)

 
 

古暦(ふるごよみ)

11月の半ばも過ぎると、文具店や専門店には、
来年のカレンダーや手帳が並ぶようになります。
来年の運勢などが載った暦などを見ると
つい手に取ってみたり、何だかウキウキします。
 
そうして来年のための新しいカレンダーを
買ったりもらったりすると、
今年もあと数日を残して
壁に掛かっている今年のカレンダーが
なんだか古びて見えてきます。
 
その使い古したカレンダーのことを
「古暦」(ふるごよみ)と言います。
「暦の果」(こよみのはて)とか、
「暦の終」(こよみのおわり)
「暦の末」(こよみのすえ)などとも言われる
仲冬の季語です。
 
江戸時代、仮名で書かれた
「仮名暦」が普及すると、一般の人々も求めて
暦を使用するようになりました。
 
そのため、暦の需要は増大し、
「京暦」「江戸暦」「会津暦」「三島暦」など
各地の神社などで、各地でその土地に適した
暦が売られるようになりました。
 
特に、伊勢で刊行された「伊勢暦」(いせごよみ)が、
伊勢神宮の御師(おし)達が
神宮の大麻(たいま)やお札とともに
各地の檀家に配ったり、
伊勢参りのお土産として人気だったそうです。
 
元々「古暦」は、年が改まった後の
前年の暦のことを指していたようですが、
一般的には、年内に新しい暦と取替え、
数日を残した暦を指します。
残りの日の少ない古びた暦を見ると、
今年もあと幾日で 終るのだと実感させられ、
その年への名残りや感慨の気持ちが
湧き上がってきます。
 
なお、「古暦」(これき)と読む場合は、
「昔の暦」とか、
太陽暦以前の「太陰暦」などのことを
指します。
 

12月3日「カレンダーの日」

 
昭和63(1888)年カレンダーの業界団体である
カレンダーの更なる普及と発展を目指して、
12月3日を「カレンダーの日」に制定しました。
 
日付は、「太陰太陽暦」が
明治5(1872)年12月2日で打ち切られ、
翌、12月3日が
「太陽暦」の明治6(1843)年1月1日となった
「明治改暦」の史実に基いています。
 
この明治の「改暦」により、日本は
「太陽暦」を採用している諸外国と
外交上の足並みを揃えることになり、
文明国家の仲間入りを
広く世界にアピールすることが出来ました。
 

11月9日「太陽暦採用記念日」

明治政府が「太陽太陰暦(旧暦)」を廃止し、
「太陽暦(新暦)」を採用する旨の詔書が
布告された明治5(1872)年11月9日は、
太陽暦採用記念日」に制定されています。
 

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明治5年11月9日に、明治政府に突然
「来る12月3日を明治6年1月1日とする」と
宣言されてから数えて僅か23日後に迫った
突然の改暦は
日本国民に大きな衝撃を与えましたが、
さりとて、庶民の暮らしの中では
改暦以降しばらくの間、大正、昭和に入るまで、
まだまだ「旧暦」によるところが大きかった
ようです。
昭和22(1947)年の調査でも
「新旧暦を併用して使っている」と答えた人は
全国で44%にも昇ったとか。
庶民の暮らしに「太陰暦」が如何に浸透して
いたかが想像出来ます。