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令和7(2025)年11月1日、JR「山手線」(やまのてせん)誕生100周年記念!

 
日本屈指の鉄道路線「山手線」(やまのてせん) が、
環状運転を開始してから、
令和7(2025)年11月1日に
ちょうど100年の節目を迎えました。
 

 
日本で最初の鉄道は、明治5(1872)年10月14日に
「新橋駅 (旧・汐留)」と「横浜駅 (現・桜木町)」間で
官設鉄道が開業しました。
 
 
 
それから11年後の明治16(1883)年7月28日、
「上野駅」から「熊谷駅」を結ぶ、
日本初の私立鉄道会社「日本鉄道」が
営業を開始しました。
「日本鉄道」は、明治14(1881)年年8月1日、
岩倉具視を始めとする華族などが参加して
創立が決定した私立鉄道会社です。
同年11月11日、設立特許条約書が下付され、
会社が設立されました。
起点は上野駅し、現在の東北本線や高崎線、
常磐線など、JR東日本の路線の多くを建設・運営していました。
明治39(1906)年に国有化されました。
 
 
「官設鉄道線 (新橋・品川間)」と
「日本鉄道会社線 (品川・赤羽間)」
この2つの路線を接続するために、
明治18(1885)年3月1日に開業したのが、
後に「山手線」の礎となる
日本鉄道の「品川線」でした。
「品川線」は、「新橋駅 (旧・汐留)」・「赤羽」 間を
1日3往復、運転時間は1時間15分で、
当初は、品川・渋谷・新宿・板橋の四駅、
すぐに目黒・目白両駅が開業したそうです。
そして品川駅から「新橋駅 (旧・汐留)」まで
乗り入れを行いました。
明治20(1887)年、当時7歳だった大正天皇が
この路線に乗車した記録が残されています。
新橋駅から「臨時列車(汽車)」で
赤羽駅を経由して上野駅まで郊外の光景を
車窓から楽しまれたそうです
 
 
「品川線」を開業させた日本鉄道は、
現在の「高崎線」(1884年全通)、
「東北本線」(1891年全通)、
「常磐線」(1898年全通)といった幹線を
次々に建設、開業させていきました。
 
 
これらの路線のうち「常磐線」沿線の
炭鉱で産出する石炭を
東京や京浜工業地帯へと輸送するために、
当時の起点「田端」と「品川線」を結ぶため
田端~池袋間に「豊島線」を建設し、
その分岐点として明治36(1903)年4月1日に
「池袋駅」を開業しました。
それと同時に「豊島線」と「品川線」の
名称を廃止し、これらを統合した
「山手線」(やまのてせん) として
営業を開始しました。
この「山手線」(やまのてせん) という名称は、
山手台地に建設されたことに由来すると
言われています。
 
この区間の開業により、当時の官鉄線を含めて
新橋 (後の汐留貨物駅) ~ 品川 ~ 池袋 ~
田端 ~ 上野 間が開業したことになり、
現在の「山手線」の約3/4の区間が
開業したことになります。
明治39(1906)年に日本鉄道が国有化され、
明治42(1909)年に正式に「山手線」を
名乗るようになりました。
なお「山手線」の呼び方が統一されたのは
昭和46(1971)年で、全国の路線にふりがなを付けることが決まり、「やまのてせん」と
正式に命名されました。
 
明治42(1909)年12月16日、現在の新橋駅となる
「烏森駅」(からすもりえき) が開業すると、
「山手線」は同時に上野駅~田端駅~池袋駅~
新宿駅~品川駅~烏森駅間で電車運転を開始、
これにより「山手線」の運転ルートは、
「C」の文字を描くような線形となりました。
大正3(1914)年に東海道線が東京駅まで開通、
大正8(1919)年に中央線も東京駅まで延伸。
これにより、「東京駅」で
中央線と東海道線のレールが繋がり、
中野駅から新宿駅、神田駅、東京駅、品川駅、
新宿駅、池袋駅、田端駅、上野駅が
平仮名の「の」の字のようなルートで
直通運転を行うようになりました。
 
 
「山手線」が走り始めて40年が経過した
大正14(1925)年11月1日、
ようやく神田駅と上野駅間のレールが繋がり、
「山手線」は都心部に円を描くように
一周する環状運転がスタートしました。
 
当時は12分間隔で運転され、
1周するのに72分を要したそうですが、
時代が昭和に入ると、
運転間隔や1周に要する時間は、
現在とほぼ変わらないものになったそうです。