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4月2日は「図書館開設記念日」

 
4月2日は「図書館開設記念日」です。
この日本初の近代図書館が出来たことに
由来すると言われています。
 
 
明治政府は旧幕府から接収した書籍類を
太政官や各大学へ分割して引き継ぎましたが、
文部省博物局はこれらを1か所にまとめて
公衆の閲覧に供することとし、
明治5 (1872)年4月2日に、
日本最初の近代的公立図書館として
「書籍館」(しょじゃくかん)
湯島聖堂に開設したのです。
開設に尽力したのは、博物館長兼書籍館長の
町田久成(まちだひさなり)です。
 
「博覧会事務局」とは 、明治6(1873)年に
オーストリアの首都ウイーンで開催予定の
万国博覧会に参加することになったため、
明治4年12月に太政官正院の中に設置された
もの。
 
 
町田は、薩摩の名家に生まれ、
19歳の時に江戸に出て、昌平黌に学ぶ傍ら
平田家の門に入って「国学」を学びました。
元治2年(慶応元年・1865)には、
薩摩藩英国留学生の学頭に命ぜられて、
渡英しました。
渡欧中、「大英博物館」などを見学し
感銘を受けていた町田は、
廃仏毀釈による文化財の破壊や、
文化財の海外流出を残念に思い、
博物館建設や文化財の保護、
調査報告を進言する
『大学献言』を太政官に提出し、
上野の森に日本初の博物館
(後の「東京国立博物館」)を誕生させ、
初代館長となりました。
 
 
大英博物館」は当時、博物館と図書館が
一体であったため、町田にとって、
「書籍館」は「博物館」と一体のもので、
切り離すことの出来ないものと考えていた
ようです。
 
 
その後「書籍館」は、
明治新政府の下で多難の道を歩み、
明治8(1875)年「東京書籍館」→
明治10(1877)年「東京府書籍館」→
明治13(1880)年「東京図書館」と
名称や設立主体、場所などを変えて、
明治30(1897)年4月27日に
「帝国図書館官制」が公布されて、
「帝国図書館」に発展しました。
 
なお4月27日は、
「国会図書館開館記念日」となっています。
 
 
更に戦後、昭和25(1950)年4月30日に、
「図書館法」が公布され、
「帝国図書館」を「国立図書館」と改称した他、
公共図書館の設置や運営に関して
必要な事項を定め、
日本は真の意味で近代的な
公共図書館の時代を迎えることになりました。
 
 
昭和46(1971)年、
その日を記念するために、
「図書館記念日」を制定して、
翌昭和47(1972)年以降は、
記念日ポスターを作製し、
各地の図書館に配布するなど
積極的な啓発活動を行っています。
また、この日に続く5月1日~31日を
「図書館振興の月」としている。