山を神と仰ぐ「山岳信仰」は、
古い歴史を持つ。
中でも「富士山」は、
その孤高の美しさだけでなく、
荒ぶる噴火により、神の住む山として
畏れられ、崇められてきました。
「富士登山」は、
1000年以上の長い歴史があります。
富士登山の歴史
富士山に初めて登ったのは
聖徳太子⁉
聖徳太子の一生を記述した
『聖徳太子伝暦』(重要文化財、興福寺蔵)
の中には、
「二十七歳(西暦598年)の聖徳太子が、
甲斐の黒馬に乗って、富士山を飛び越え、
信濃に至った」という一節があります。
富士山が描かれた現存する最古の絵と言われる「聖徳太子絵伝」(国宝、東京国立博物館蔵)には
富士山の横を飛翔する騎馬の太子像が
描かれています。
役小角(えんのおづぬ)が
海の上を走ってやってきた⁉
『日本現報善悪霊異記』によると、
飛鳥時代、伊豆への流刑を受けた
修験道の祖・役小角(えんのおづぬ)が
伊豆の島から夜に富士山頂に行って修業をし、
朝には戻っていったと記されています。
江戸時代の「富士講」(ふじこう)
平安時代は、有史以来、
富士山の活動が最も激しかった時代でした。
それが平安時代後期以降になり、
噴火活動が沈静化すると「富士山」は、
日本古来の「山岳信仰」と「密教」などが
習合した「修験道」の道場となり、
「遙拝」の対象から「登拝」する山へと
変化していきました。
室町時代後半になると、修験者だけでなく
一般庶民も富士山に「登拝」するようになり、
富士登山が次第に大衆化されていきます。
戦国時代に現れた
長谷川角行(はせがわかくぎょう)が
新たな富士山信仰を教義としてまとめると、
その教えが、江戸時代中期に「富士講」として
関東を中心に大流行し、多くの人々が
「富士登山」や「白糸ノ滝」などの霊地へ
巡礼を行うようになりました。
「富士を拝み、富士山霊に帰依し
心願を唱え、報恩感謝する」
という分かりやすい教えが広まり、
「富士講」は瞬く間に江戸に広がりました。
「江戸八百八講 講中八万人」と例えられる
くらい、江戸には沢山の「富士講」があり、
大勢のメンバーがいました。
「富士講」の開祖・長谷川角行(はせがわかくぎょう)
九州長崎の人で、富士の人穴で千日間立ち、
行の末に悟りを開いたと言われ、
更に数々の難行苦行を行い、庶民の信仰を
一身に集めました。
そして富士山登山百数十回、断食300日などの
苦行を成し遂げ、106歳の時、人穴で入寂した
と伝えられています。
全国には400を超える
「〇〇富士」がある
日本人にとって「富士山」は特別な山。
そんな「富士山」への
憧れや信仰の気持ちから
郷土の山に「富士」の名を付けた
「ふるさと富士(郷土富士・ご当地富士)」が
全国には少なくとも
300とも400座もあると言われています。
例えば、北から見ると、
北海道の「羊蹄山 」は「蝦夷富士 」、
青森の「岩木山 」は「津軽富士 」、
そして鹿児島の「開聞岳 」は「薩摩富士 」
などが知られています。
御本家の富士山を擁する静岡県にも、
「下田富士」や「川奈富士」など、
いくつかの「ふるさと富士」がありますし、
海外にも、米レーニア山の「タコマ富士」、
米フッド山の「オレゴン富士」、
フィリピン・マヨン山の「ルソン富士」
などがあります。
美しい裾野を持った富士山と同じような
「成層火山」(せいそうかざん)である山から、
富士山とは似ても似つかぬ山まで
その山容は実に様々。
「富士山信仰」に由来するものもあります。
地元の人々のそれぞれの山に対する親しみと
愛情がそこには込められています。
なお、山梨県富士河口湖町の大石公園には、
日本全国各地にある
「ご当地富士」の石252個を
集めて富士山をかたどったモニュメント
『富士山の集い』があります。
富士山の山開き
平成25(2013)年に世界文化遺産に登録された
日本を代表する山「富士山」は、
日本のみならず海外の登山者にも人気で、
通年多くの登山客で賑わいます。
富士山には4つの登山ルートがあります。
- 吉田ルート
- 須走ルート
- 御殿場ルート
- 富士宮ルート
ルートにより「山開き」の時期は異なります。
吉田ルート
[令和6(2024)年7月1日~9月10日]
山梨県側の「吉田ルート」は
最も開山が早い登山道で、
毎年7月1日が「山開き」となります。
閉山は9月10日の予定です。
開山する7月1日は、年によっては
登山道脇に雪が残っていたり、
一部の救護所が開いていなかったりします。
また7月初旬は大抵、
梅雨が明けていないため、
天気にも恵まれないことが多いです。
更に、須走口側にある下山道も
「須走ルート」が
開山するまでは利用出来ないため、
岩場の多い「吉田口の登りルート」を
戻りながら下山することになります。
山頂のお鉢巡りも
他のルートが開山するまでは出来ません。
ですから、山に慣れていない方は、
「山開き」直後の登山は
避けたほうが良いかもしれません。
なお、「吉田ルート」では、
1人1回につき通行料2千円の支払いが
義務化されました。
また、登山者の1日当たりの上限は
4千人に設定されました。
静岡側ルート
(富士宮口・須走口・御殿場口)
[令和6(2024)年7月10日~9月10日]
静岡側の登山ルートは、
「富士宮ルート」「須走ルート」「御殿場ルート」の
3つ登山ルートがあります。
これらの登山道は
7月10日の「山開き」となります。
全ての登山道が開山すると、
救護所や山小屋の準備も整います。
北口本宮冨士浅間神社
「富士山開山祭」
山梨県にある北口本宮冨士浅間神社
(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)では、
「山開き」の前日6月30日には
「富士山開山前夜祭」、
「山開き」当日の7月1日には
「富士山開山祭」が行われます。
「前夜祭」では「富士講」の方々や
富士吉田市民によるパレードが、
「開山祭」にはその年の登山者達の
無事を祈る神事が開催され、
賑やかな登山シーズンの始まりを迎えます。
富士山・河口湖山開きまつり
花火大会
富士山の「山開き」を記念して、
令和6(2024)年は7月6日(土)に
河口湖畔の大池公園をメイン会場に
花火大会が開かれます。
山梨県内ではいち早く上がる花火として
有名です。
なお河口湖では
「河口湖冬花火」や「河口湖湖上祭」など
花火大会が多く開かれています。
富士山本宮浅間大社
「富士山お山開き」
静岡県富士宮市にある
「富士山本宮浅間大社」では、
7月10日の午前9時前後に、
安全を祈願する祭りが行われます。
なお、令和6年の頂上両社の閉山予定は
「奥宮」が7月10日より9月8日朝まで、
「久須志神社」が7月10日より9月8日朝まで
になります。