うまずたゆまず

コツコツと

「寒」の時期に、体力をつけるために「薬喰」(くすりぐい)

 
昔、仏教の教えにより殺生を戒め
肉食を禁忌にしていた時代に、
「寒」の時期に、体力をつけるために、
薬と称して滋養になる
鹿、猪、兎の肉を食べることを
「薬喰」(くすりぐい)とか「寒喰」(かんぐい)
言いました。
 
 
 
『滑稽雑談』(こっけいぞうだん) には
「肉類をおほよそ冬月に至りて服食し、
 方薬に用ゆる。
 (中略)寒に入りて三日、七日、
 あるいは三十が間、その効用に応じて、
 鹿、猪、兎、牛等の肉を食ふ。
 これを薬喰と称するなり」とあります。
 
 
江戸幕府8代将軍の徳川吉宗は
毎年「薬喰」(くすりぐい)
とても楽しみにしていたそうです。
その「薬」とは、鹿児島の島津氏から
毎年お歳暮として贈られていた
「豚肉の味噌漬け」だったそうで、
食べ切ってしまうと、
「もっと欲しい」とねだったそうです。
 
 
更に徳川最後の将軍・徳川慶喜も
大変な「豚肉」好きだったようで、
「豚が好きで好きでたまらない一橋の殿様」
を略して、裏では「豚一殿」と言われていた
そうです。
 
なお広義には、獣肉に限らず、
「寒中」に身の栄養となるものを食べることを
「薬喰」(くすりぐい)と言うこともあります。
 

ももんじ屋

 
「ももんじ」とは、江戸時代に
猪や鹿、狸などの獣肉の総称で、
その肉を売る店は
「ももんじ屋」と呼ばれました。
これは「百獣(ももじゅう)」が
転訛した言葉と考えられ、
肉食が禁じられていた時代に
「薬喰い」として獣肉を扱う店を指す
隠語でもありました。
なお看板には
猪肉または一般に獣肉の異称で
「山くじら(山鯨)」と書いていたようです。
 
そして「牡丹(猪肉)」や「紅葉(鹿肉)」、
「桜(馬肉)」などの隠語で
取引していました。
 
 
本草書や料理書に記載された食用獣類は、
記載の多い順に、
シカ・イノシシ・ウサギ・ウシ・タヌキ・
イヌその他10種類もあります。
 
 
なお『本朝食鑑』(1697) によると、
獣肉の中で最も美味なのは
「牛肉」なのだそうです。
 
 
『江戸繁昌記』(1832)の「山鯨」の項には
「ももんじ屋」の盛況が書かれていますが、
店の料理は獣肉にネギを加えて煮る
鍋物が主であったようで、
醬油と砂糖が普及したお陰でしょうか。
 

紅葉鍋(もみじなべ)

 
「紅葉(もみじ)鍋」は、鹿肉を使った鍋で、
鹿肉をねぎや豆腐などと一緒に煮込んだ、
醤油味で、すき焼き風に仕立てた鍋です。
 
 
鹿肉は、『日本書紀』に仁徳天皇に
献上されたという記述があるほど
昔から食されてきた獣肉で、
獣肉が避けられた時代も
一部で食用にされていました。
なお「もみじ」と言われるのは、
『古今和歌集』の「奥山に 紅葉踏みわけ
鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」から。
 
 

牡丹鍋(ぼたんなべ)

 
(いのしし)を使う鍋物は
「牡丹(ぼたん)鍋」とか「しし鍋」と言います。
白菜や春菊、長ねぎ、こんにゃく、
豆腐などを一緒に煮て、
肉の臭みを消す味噌で味つけしたもので、
生卵をつけて食べたりします。
 
 
なお「牡丹(ぼたん)鍋」の「牡丹」とは、
肉の色が豚肉より赤く、
牡丹の花の色に似ているため、
または花の形に盛られるからとも言われます。
 

桜鍋

 
「桜肉(=馬肉)」は、
鉄分やたんぱく質が豊富で、昔から
「滋養強壮に良い」と言われてきました。
 
 
そんな馬肉をすき焼きのようにして食べる
「桜鍋」は
熊本が本場かなと思っていましたが、
実は東京の郷土料理なんだそうです。
 
 
なんでも明治初期に吉原で流行し、
吉原遊郭の行き帰りにファストフード感覚で
立ち寄るご飯屋さんとして栄え、
最盛期には吉原大門前の通りに
2、30もの専門店があったそうです。
 
「遊郭で遊び過ぎた旦那衆が
 お金の代わりに売ったのが乗ってきた馬。
 それが集まり過ぎたので鍋にしたところ
 人気になった」のが起源だそう・・・です。