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紅葉狩り(もみじがり)

 
「紅葉狩り」(もみじがり)とは、
野山に出かけて紅葉を楽しむことを言います。
 
 

紅葉狩り(もみじがり)

秋も深まると山々が色づき、
楽しみになってくるのが野山の紅葉。
春の「お花見」と同じように、
野山に出かけて紅葉を楽しむことを
「紅葉狩り」と言います。
 
「紅葉狩り」の「狩り」とは?
ところでどうして「狩り」なのでしょうか?
結論から言うと、
「野山に分け入って、季節の恵みを探し求める」
ことを、広く「狩り」と呼んだからです。
平安時代、貴族は秋の紅葉を見るためには
山に行く必要がありました。
狩猟をしない貴族が山野に分け入って
紅葉を眺めることを「狩り」に例えていたことが、
「紅葉狩り」と呼ぶことの始まりと言われて
います。
平安時代には、「桜狩り」という言葉も
ありました。(『宇津保物語』(うつほものがたり)
自然の「山桜」を鑑賞するためには、
山野に行かなくてはならなかったからです。
つまり野山に分け入って、
自然のものを探す時は「狩り」だったのです。
その後「桜」を見る場合、
人里で栽培されたのものを観賞する時は
「花見」と言うようになりました。
とすると、「紅葉狩り」は大自然そのままを
味わうイベントと言えそうです。
 

「紅葉狩り」の歴史

『万葉集』では「黄葉」⁈
 
日本最古の和歌集『万葉集』には、
「もみじ」を詠んだ歌が100首以上
収録されていることから、
日本人は昔から紅葉を観賞していたことが
分かります。
 
ただ当時は、「もみじ」には
「黄、黄変、黄葉」という漢字を当てていて、また発音は「もみち」でした。
これは、葉が赤(紅)や黄色に
変化するという意味を持つ「もみつ」という
動詞から派生したとされています。
 
なお「紅葉」を使っている歌は一首だけでした。
 
 いもがりと 馬に鞍置きて
 生駒山 打ち越え来れば
 紅葉散りつつ
 
  妻のもとへと 馬に鞍を置いて
  生駒山を 越えて来ると
  紅葉が盛んに散っている
 
平安貴族が「紅葉狩り」を楽しむようになる
 
平安貴族は、赤や黄色に染まった
山々の景色を堪能したり、葉を集めたりして
楽しんでいたと言われています。
 
歌に詠まれることも多く、
「見わたせば花も紅葉もなかりけり
 浦の苫屋の秋の夕暮」(藤原定家)や
「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ
 秋はかなしき」(『百人一首』よみ人知らず)、「ちはやぶる神世も聞かず竜田川
 唐紅に水くくるとは」(在原業平)など
よく知られた歌も多いです。
 
 
ただ紅葉を見るには、
山に足を運ぶ必要があったため、
桜の「お花見」などと比べると
メジャーな行事にはなりませんでした。
 
 
また現代では「紅葉」というと、
非常に華やかな雰囲気がありますが、
平安時代の人々にとって、
紅葉の赤は「無常」を感じさせるもので、
やがて訪れる冬の寂しさや
散りゆく紅葉に自身を重ねていた
という説もあります。
このような理由から、「紅葉狩り」を
本格的に楽しむようになったのは
室町時代以降とされています。
 
「醍醐の花見」を催した豊臣秀吉も
秋の「紅葉狩り」も計画していたようですが、
残念ながら紅葉の季節まで健康を保つことは
出来ませんでした。
 
庶民に定着したのは江戸時代
貴族の楽しみであった「紅葉狩り」も
江戸時代になると庶民にも広まっていきました。
8代将軍の徳川吉宗が、
飛鳥山に桜や楓の木々を植栽し
行楽地として整備したことなども後押しとなり、
庶民の間でも桜の「お花見」のように、
「紅葉狩り」も広まっていったそうです。
 
江戸には、桜を見るための
「お花見の名所」があったように、
「紅葉狩り」をするのにも
「紅葉の名所」もあったようです。
これらは『名所図会』(めいしょずえ)と呼ばれる
挿絵付きの旅行ガイドブックで紹介されました。
江戸の「紅葉狩り」では、
浅草の「正燈寺しょうとうじ」と品川の「海晏寺かいあんじ」が双璧で、ちょっと足を延ばして下総国の真間の
弘法寺ぐほうじ (/現千葉県市川市)」も有名でした。
飛鳥山の「滝の川」など、春の「お花見」と
重なる場所も多かったようです。
 
「海晏寺」は江戸第一の紅葉の名所で、
『江戸名所図会』(1836)にある
「海晏寺紅葉見の図」には、
紅葉を眺めながら茶店でお茶を飲む人々や、
短冊を持つ風流人などが描かれています。
 
 
このように桜の「お花見」に比べて
「紅葉狩り」の方は幾分趣きが異なり
静かだったようです。
お茶を飲んだり団子を食べたりしながら、
紅葉を楽しんだようです。
 
 
また俳句を詠み合ったりするなど、
「紅葉狩り」を楽しんだ人達の多くは
「文人、医者、僧侶、豪商、武士」でした。
 

紅葉の美しさを表現する言葉

日本には、紅葉の美しさを表現する言葉が
たくさんあります。
紅葉風景を表す言葉を集めてみました。
 
山装う(やまよそおう)
紅葉で彩られた秋の山を言います。
春の「山笑う」、夏の「山滴る」、
冬の「山眠る」に対する言葉です。
 
北宋時代の山水画家・郭熙(かくき)の
『山水訓』から来ています。
 
 春山淡冶而如笑(春山淡冶たんやにして笑うが如し)
 夏山蒼翠而如滴(夏山蒼翠そうすいにして滴るが如し)
 秋山明浄而如粧(秋山明浄めいじょうにして粧うが如し)
 冬山惨淡而如眠(冬山惨淡さんたんとして眠るが如し)
 
・山笑う(やまわらう)
 春の芽吹き始めた華やかな山の様子のたとえ。
 
・山滴る(やましたたる)
 草木の葉で覆われて緑が滴るように見える
 夏の山の様子のたとえ。
 
・山粧う(やまよそおう)
 紅葉で美しく色づいた秋の山の様子の
 たとえ。
 
・山眠る(やまねむる)
 静まり返った冬の山の様子のたとえ。
 
錦秋(きんしゅう)
草木が色とりどりに紅葉した秋を
「錦秋」(きんしゅう)と言います。
錦は何色もの色糸を用いて、
華麗な模様を織り出した織物の総称ですが、
豪華で高級な織物の代表として、
美しいもの、立派なものを例える言葉として
使われてきました。
 
なお同じ読みで「金秋」という言葉があります。
これは「五行説」の「金」が季節では、
「秋」に当たることから出来たもので、
紅葉の時期だけでなく広く「秋」を言います。
 
山の錦(やまのにしき)
山の木々が紅葉して美しい様子を、
錦に例えた言葉です。
紅葉により山々が朱や黄金色に染め上げられる
景観は、「山の錦」にまさに相応しいですね。
 
野山の錦(のやまのにしき)
草紅葉、木々の紅葉に覆われた山野を、
錦にたとえて愛でた言葉です。
 
紅葉の帳(もみじのとばり)
一面に紅葉した様子を、帳に見立てていう言葉です。
 
紅葉筵(もみじむしろ)
紅葉が散り敷いた様子を
「筵」(むしろ)に見立てていう言葉です。
「紅葉蓆」と表記することもあります。
 
谿紅葉(たにもみじ)
紅葉で彩られた谷の風景を指す言葉です。
 
紅葉の川(もみじのかわ)
紅葉した葉が落ちた川。
川の水面に浮かぶ紅葉も風情がありますね。
 
庭紅葉(にわもみじ)
紅葉で色どられた庭を指す言葉です。