野や山に出掛けて、虫の声に耳を澄ませて楽しむことを、
「虫聞き」と言います。
平安時代には、既に「虫の声を愛でる文化」がありました。
『源氏物語』の中にも、
「花見」と同じく宮廷生活の文化として描かれています。
江戸時代になると、
「花見」「月見」「菊見」「雪見」そして「虫聞き」が
庶民の「五つの風流」とされました。
江戸時代の虫聞きの名所は、
広尾や道灌山(現在の鶯谷から西日暮里の丘)、
それから上野の不忍池などでした。
家族で酒肴を持って出掛けたという記録が残っています。
(『江戸名所図鑑』)
現在でも、東京都の「向島百花園」、国宝「彦根城」や京都の寺院などで
「お月見」や「茶会」と合わせて行われています。
虫選び
平安時代、強の相野谷鳥辺野などに赴き、
松虫や鈴虫などの鳴く虫を捕えては、籠に入れて持ち帰る「虫狩り」や、
捕ってきた虫を宮中に放ち、その音を楽しむ「虫選び」、
また、捕った虫の姿や鳴き声を競い合う、「虫合わせ」に興じたそうです。
虫時雨(むししぐれ)
秋の季語です。
「虫時雨」とは、沢山の虫が一斉に鳴く声が
ザーッと降ってサッと上がる時雨のようであることから。
時雨が降る毎に冬が深まってゆくように、
「虫時雨」が聞こえる毎に、秋もその深さを増していくようです。
- いま褪せし夕焼の門の虫しぐれ
- 松虫は畑へだつなり虫時雨
- 虫時雨諸山の護符の影ならぶ
- 灯の尽きし紙燭をかこみ虫時雨
- 忘れ得ぬ日や宵早き虫時雨
水原秋櫻子
残る虫
晩秋の季語。
秋が深まり、
だんだん虫の声が弱まってくる時季の様子を
「残る虫」 と言います。
「虫時雨」が虫の盛りの頃としたら、
「残る虫」は終わりかけですが、
懸命に鳴く声には、美しい響きが宿っています。
蟋蟀(こおろぎ)
万葉集の時代には、
「蟋蟀」(こおろぎ)とは、秋に鳴く虫の総称だったようです。
夕月夜 心もしのに白露の 置くこの庭に 蟋蟀鳴くも
月の明るい夕べに、白露の降りているこの庭でコオロギが鳴いている、
それを聞くと私の心もしんみりとする。
それを聞くと私の心もしんみりとする。
秋風の 寒く吹くなへ 我が宿の 浅茅が本に こほろぎ鳴くも
秋風が寒く吹くにつれて、私の庭の茅萱(ちがや)のもとで、
コオロギが鳴いている。
コオロギが鳴いている。
庭草に 村雨降りて こほろぎの 鳴く声聞けば 秋づきにけり
庭の草に村雨が降ってコオロギの鳴く声を聞くと、
秋の訪れを感じる。
秋の訪れを感じる。
こほろぎの 待ち喜ぶる秋の 夜を寝る 験なし枕と我れは
コオロギが待ち望んでいた秋の夜なのに、寝る甲斐もないよ、
枕と私だけでは。
枕と私だけでは。