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卯月八日(うづきようか)

 
4月8日はお釈迦様の誕生日とされ、
全国のお寺では「花まつり」が行われますが、
旧暦4月8日の「卯月八日」(うづきようか)には、
民間では仏教とは関係性の低い行事が
行われてきました。
令和6(2024)年は5月15日になります。
 
 

「卯月八日」(うづきようか)とは

4月8日もしくは旧暦4月8日は、
全国の寺社では、お釈迦様の誕生を祝う
催されますが、
民間では、釈迦の生誕とは
関連が低い行事行われてきました。
 
この日には農事をしてはならないとされ、
「卯月八日に種まかず」と言われ、
農村部では、野山で飲食し、花見をしたり、
花摘みや野遊びをしたりしました。
 

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山神の祭日や山開きに当てるところや、
墓参りの日とする地方もあります。
この日を「例祭日」とする神社も多くあります。
 
仏教が伝来する以前から、日本には、
「山の神」「田の神」への信仰がありました。
春になると「山の神」が里へ降りてきて、
「田の神」となって稲の生育を守護し、
稲の収穫が終わる秋になると再び山に帰って
「山の神」となるというものです。
 
旧暦4月8日(卯月八日)は、元々、
山の神が田へ降りて来るのを迎える祭日で、
農耕開始前に山の神を田の神として迎え、
五穀豊穣と無病息災を祈願していたのです。
 
このような風習が、日本独特の「花まつり」を
広く定着させた背景の一因とも考えられて
います。
 

お花見

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「卯月八日」を「花見の日」として、
野山に出掛けて行って「花見」をしたり
飲食をして山遊びをする風習は、
東北から九州の各地に分布しています。
 
元々「花見」とは、
春になって桜の木に降りてきた神様を
料理と酒でもてなし、人間も一緒に
それをいただくことが本来の意味です。
 

「天道花」(てんとばな)

 
関西から西の地方では、「卯月八日」に
躑躅(つつじ)や石楠花(しゃくなげ)
樒、山吹、藤、ウツギ、卯ノ花などを
山から採って来て、竹竿の先に括り付けて、
門や庭先や家屋の上などにに立てる
「天道花」(てんとうばな)という風習が
各地に伝えられてきました。
「高花」「立花」「八日花」「夏花」(げばな)などと
呼ぶ地域もあるようです。
 
これは1年間の農事が始まるこの時期に、
山から神様を招来するための「目印」とか、
山の神様の「依代」であると考えられるよう
です。
 
端午の節句に揚げられる
「鯉のぼり」の風習と合体することで、
急速に忘れられてしまったとも言われます。
 
それでも京都の天道神社では、毎年5月17日に
「天道花」の神事が行われています。

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因みに
「天道花」を高く掲げたり、
花を十字に括りつけたり、
花にすりこぎを入れておけば
男児が生まれるとか安産になるという
言い伝えが残る地方もあります。
 
更に、「卯月八日」に掲げた花は、
翌9日には降ろして仕舞っておき、
雷鳴の日に火にくべると
「雷除け」になるとか、
家出人があった時に燃やせば、
煙が行方を示してくれるという言い伝えも
あります。
 
このように、「天道花」には
一定の呪力や生命力が認められていました。
 

山神の祭日、山開きの日

 
東日本では、山神の祭日や山開きの日に
当てているところがあります。
霊山にある神社では、
「霊山の山開きの日」として、
精進潔斎して登拝する所がかなりあります。
 
比叡山はかつては女人禁制の山でしたが、
旧暦4月8日から7月8日までの間は、
山麓の花摘社まで女人が参拝し、
花を仏に供えるのが例になっていました。
 

墓参り

 
4月8日に「墓参り」や「先祖供養」をする
風習もあります。
兵庫県氷上郡では「花折り初め」と言って、
他家に嫁いだ子女が新仏の墓参りために
帰って来る日でした。
熊本県益城地方では、「卯月年忌」と言って
仏前に花を供え、樒で水を手向けました。
先祖のための「施餓鬼」などを行う地域も
あります。
 
これらは、農事に深く関連する祖先神として
山の神を祀る儀式が、灌仏会の一部風習を
取り込んで、独自の民間行事として発達したと考えられています。
 

虫害除けの呪い(まじない)

 
江戸時代には、「卯月八日」に関わる
俗信がありました。
 
蛆虫(うじむし)やムカデやマムシなどを
避けるためといって、台所や便所などに、
 
千早振ちはやふる卯月八日は吉日よ、
 神下虫かみさげむし を成敗ぞする」
 
などの呪文を書いた紙札を逆さにして
貼るのです。
毒虫や害虫などがわき出る季節の
「魔除け」の呪いと言われています。
この風習は最近まで東北から九州地方まで
広く全国的に見られました。