京の三大祭の中で最も古いこの祭礼は、
正式には「賀茂祭」と言われ、
上賀茂神社(上社)と下鴨神社(下社)で
5月1カ月間に行われる
祭礼の1日を指しています。
京都三大祭
葵祭・祇園祭・時代祭
葵祭・祇園祭・時代祭
『山城国風土記』によると、
6世紀中葉の欽明天皇(540-571年)の時代に、
大凶作に見舞われ疫病が流行りました。
天皇が占わせたところ、この災いは
賀茂の神々の祟りであるというので、
天皇が勅使を遣わし、祭礼を行ったのが
「葵祭」の起源とされています。
ところで、賀茂神社のお祭りなのに、
なぜ「葵祭」と呼ばれるようになったの
でしょうか。
それは「葵」という植物が
この2つの神社と所縁が深いからです。
「上賀茂神社」のご祭神から、
葵と桂を編んでお祀りすれば、
自分(神)に会えるであろうとの
お告げがあったために、
「葵」がこの2つの神社のご神紋になりました。
7世紀後半には、現在地に社殿が造営され、
周辺地域からも祭に参加するようになり、
国司が監督を行う公的な祭になりました。
長岡京・平安京遷都に伴って、
朝廷から皇城鎮護の神と崇敬され、
弘仁年間(810~824)には斎院が設置され、
祭礼は勅祭化しました。
しかし、葵祭は応仁の乱以降、
約200年もの間中断してしまいます。
元禄7(1694)年に祭りが復興した時に、
祭りに関するものを
「葵の葉」で飾るようになったことから、
「葵祭」という名前で呼ばれるように
なりました。
明治時代に入ると、
東京遷都や神祇制度の改変などで
祭は縮小されましたが、
明治17(1884)年に下社の神官などの尽力で
勅使行列が復活し、
祭日も太陽暦の5月15日と定められました。
第2次世界大戦中、行列は再度中止されますが、
昭和28年に葵祭行列協賛会などの努力で復興、
昭和31年には斎王代(さいおうだい)以下
女人列が加えられ、
今日私達が目にする
「葵祭」の行列となったのです。
「葵祭」は上賀茂神社と下鴨神社の祭礼で、
「宮中の儀」「社頭の儀」と「路頭の儀」の
三つで構成されています。
(現在「宮中の儀」は省かれおり、
残りの二つだけになっています)
中でも「路頭の儀」、
いわゆる「斉王代行列」は大変有名です。
しかし本来、葵祭の目的は行列ではなく、
神前で祭文を読み上げ、
供物や舞を奉納する「社頭の儀」だと
されています。
斉王代行列は「社頭の儀」を
執り行うまでの道中の儀で、
「葵祭」のメインではありません。
5月1日 | 上社(上賀茂神社)の 競馬足汰式(馬場殿の前) |
5月3日 | 下社(下鴨神社)の 流鏑馬神事(糺の森馬場) |
5月5日 | 上社の競馬会神事 (参道脇の馬場) |
5月5日 | 下社の歩射神事 (舞殿の前) |
5月上旬吉日 | 斎王代御禊 (上社・下社の御手洗川) |
5月12日昼 | 下社の御蔭祭 (御蔭神社から下社) |
5月12日夜 | 上社の御阿礼神事 (御阿礼野から上社) |
5月15日 | 葵祭―路頭の儀 (京都御所→下社→上社) |
5月15日 | 葵祭―社頭の儀 (下社・上社の社頭) |