日本の暦には「二十四節気」や「五節句」の他に
「雑節」というものがあります。
季節の移り変わりをより適確に掴むために設けられた
特別な暦日(れきじつ・暦で定められた日)のことです。
「雑節」とは
「二十四節気」は、農作業の目安にするために
古代Chinaの黄河中流地域で作られた暦と言われています。
また「五節句」は、季節が変わる時期に、
その季節に合わせた風習やしきたりです。
この「二十四節気」や「五節句」は、
6世紀末から7世紀にかけて日本に伝わり、
人々に季節の節目や変わり目を教え、
農作業や生活の指針、行事を行う目安となってきました。
しかし黄河中流地域と日本の気候とでは違いがあることから、
農作業や季節の移ろいの目安となるような日が
少しずつ暦に加えられました。
これらはまとめて「雑節」と呼ばれ、
「二十四節気」や「五節句」の季節の基準点の隙間を埋め、
日本人の暮らしに即した、より細やかな季節の節目を示すとともに、
アドバイス、警告、教えを暦の上で表したもので、
農作業や暮らしの道標となっていました。
そしてそれは今でも暮らしに深く関わっていることから、
その多くはカレンダーに記載されています。
「こよみ」という言葉は元々、
「日読 み」という言葉から来ていると言われています。
そして「よむ」という言葉には、
「はかる」とか「察する」という意味もあります。
つまり地球が「立春」の頃から公転して、
「あれから何日経ったか」を数えて、
いつ頃が田植えや稲刈り、茶摘みだったかということを観察記録する。
そして観察記録の集積でもある暦を使いながら、
実際に目の前の自然の変化を感じ、観察しながらその様子を記録する。
その積み重ねが年を重ねて集まれば集まるほどに、
自然界の変化の予測や対応農作業や漁猟、狩猟、林業などの作業の段取りが
立てやすくなっていきます。
このような自然現象や気象情報、農作業や作物の記録から
「夏も近づく八十八夜(立春から88日経つ頃)」は
「茶摘みの頃」といった言い伝えとなり、
それが歌や詩として伝承されるような文化が育まれてきたのでしょう。

雑節の日取り
国立天文台によれば、
「雑節」という言葉が暦に登場するのは
「明治20年暦」からです。
「明治20年暦」の雑節は、
「土用」は年に4回、
なお、「雑節」の日取りは
「黄経」が基準になっているものと、
それ以外の「雑節」は「立春」に紐付いています。
「黄経」が基準になっているもの
![]() |
「立春」に紐付いているもの
![]() |
なお、「雑節」の日付については、
毎年2月初めに翌年の暦(令和5(2023)年暦要項)を
発表しています。
令和4(2022)年の雑節
冬の土用(297度) | 1月17日 12時54分 |
節 分 | 2月03日 |
春の社日 | 3月16日 |
春の彼岸 | 3月21日 |
春の土用( 27度) | 4月17日 9時43分 |
八十八夜 | 5月02日 |
入 梅( 80度) | 6月11日 6時53分 |
半 夏 生 (100度) | 7月02日 5時47分 |
夏の土用(117度) | 7月20日 1時41分 |
二百十日 | 9月01日 |
二百二十日 | 9月11日 |
秋の社日 | 9月22日 |
秋の彼岸 | 9月23日 |
秋の土用(207度) | 10月20日 19時13分 |
《参考》二十四節気
「二十四節気」は、「立春」「春分」「夏至」「秋分」「冬至」など、
季節を表す言葉として使われています。
1年間に太陽が移動する黄道(黄道座標)を
15度毎に24等分して決められており、
太陽黄経0度が「春分」、
15度進む毎に次の「二十四節気」に移り変わります。
日本では江戸時代の暦から使われていました。
「二十四節気」を更に約5日ずつの3つに分けた期間を
「七十二候」と言います。
《参考》五節句
「五節句」は、季節の変わり目に無病息災を願う伝統的な行事です。
古代Chinaの「陰陽五行説」に由来します。
奈良時代に日本に伝わり、
宮中行事として執り行われていたと言われています。
江戸時代には祝日と定められ重視されていました。
- 「人日の節句」(じんじつ) (1月7日)
- 「上巳の節句」(じょうし) ・桃の節句、雛まつり(3月3日)
- 「端午の節句」(たんご) ・こどもの日 (5月5日)
- 「七夕の節句」(しちせき) ・七夕 (7月7日)
- 「重陽の節句」(ちょうよう)・菊の節句 (9月9日)
