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コツコツと

寒中の丑の日には「寒紅(かんべに)」・「丑紅(うしべに)」を買おう!

 

 

寒紅(かんべに)/
丑紅(うしべに)

「寒紅」(かんべに) とは、
寒中」に作られた口紅のことです。
 
寒中」に作った「紅」(べに) は、
品質が良いばかりでなく薬効も高く、
更に色が特に鮮明で美しいとされ、
猪口などに塗り付けた「小町紅」(こまちべに)
「寒」の時期によく売れました。
 
中でも「寒中の丑の日」に売り出された
「寒紅」(かんべに)は「丑紅」(うしべに)と言い、
「口中の虫を殺す」とか
「唇の荒れに効果がある」と言われて、
江戸時代の女性達は競って
「紅」を買い求めました。
 
 
寒中の丑の日
 令和8(2026)年の「立春」前、
 一月最終の丑の日「寒の土用丑の日」は
   1月27日火曜日です。
 
 
「紅屋」の店先には、
今日うし紅
と書かれた札が出され、
「丑紅」を購入したお客様には、
景品として「丑紅の牛」という
黒か金の牛の置物が配られました。
 
  
「丑紅の牛」には、大形・中形・小形の三種、
素焼きの物と着色した物との二種があり、
紅の購入量に応じて異なる人形が配られた
そうです。
 
購入者はこの牛の置物を持ち帰って、
赤い座布団の上に置いて神棚に供えて拝むと、
その一年は着物に不自由しないという
言い伝えが広まったことから、
更なる人気を集めたようです。
 
 
 
江戸時代になると、庶民も化粧に
親しむようになりました。
経済の発展に伴い豪商が台頭する
元禄期 (1688-1704) には、
商品の流通網が整って、
化粧品が京都や大坂に住む庶民の手にも
届くようになったと考えられています。
更に文化・文政期 (1804-1830) には、
江戸の女性の間に広まって、
化粧は身近な習慣となりました。
 
 
当時の化粧は、白粉 (おしろい)、眉墨 (まゆずみ)
お歯黒 (おはぐろ)、紅 (べに) を使いこなして
化粧法を工夫していました。
なお当時の江戸では、濃い目のメイクよりも
ナチュラルメイクの方が粋とされて、
薄化粧が主流だったようです。
(上方では濃艶なメイクが好まれたようです)
メイク本も出版されていて、中でも、
文化10(1813)年に出版された
『都風俗化粧伝』(みやこふうぞくけわいでん)
メイク法やスキンケアや、身の身だしなみ、
歩き方や目線をどこに向けるとよいかなどの
立ち居振る舞いについて
絵入りで詳しく解説されていたことから、
女性達のお洒落のバイブルとして愛読され、
ロングセラーとなりました。
 
 
「紅」は、唇は素より頬・目元・爪の他、
化粧下地としても用いられていました。
 高級遊女や裕福な女性達は、
 「爪紅」(つまべに) といって、
 爪にマニキュアを塗ることもありました。
 
 
 
 
江戸時代には、
「紅」の原料を買い取って精製し、販売する
「紅屋」が続々と誕生しました。
現在、日本に唯一存在する紅屋
伊勢半(伊勢屋半右衛門)」も
江戸時代後期の文政8(1825)年に、
江戸日本橋で創業しました。
 

www.isehanhonten.co.jp

 
「紅」には、
「細工紅」と「口紅」の2種類あって、
「細工紅」は⽊版画(錦絵)に使⽤する
絵具⽤の「紅」です。
また「紅屋」は、本業の傍ら、
紅染めや江戸紫染めも受け合っていた
ようです。
 
口紅はとても高価な贅沢品で、
少量は「紅猪口」(べにちょく) と呼ばれるお猪口や
貝などの内側に塗って、
多量は「紅板」(べにいた) と呼ばれる
携帯用の小さな容器などに塗られて
販売されていました。
 

小町紅(こまちべに)

粋な江戸の女性達の間で憧れの的になったのが
「小町紅」(こまちべに) でした。
京都の紅屋「紅屋平兵衛」が
「小町紅」と名付けたのが最初ですが、
紅屋「伊勢半(伊勢屋半右衛門)」が、
僅か1%しか取れない赤色色素を使って、
京都製にも負けない門外不出の秘伝の製法で
高品質な玉虫色に輝く「紅」を作り出し、
人気を集めました。
 
 
 
紅花から作られた純度の高い良質な「紅」は、
何度も厚く重ねると
光り輝く金色を兼ね備えたような、
美しい緑色の玉虫色に光ります。
「紅」の純度が高いほど
玉虫色に光り輝いて見えます。
 
「小町紅」は、乾いている時は
玉虫色に輝いて見えますが、
筆に水をつけて溶くと色が赤に変わります。
「紅猪口」(べにちょく) の内側の玉虫色は、
深紅の「紅」を塗って乾燥させたものです。
 
乾くとなぜ玉虫色になるのかは、今の科学でも
ハッキリ解明が出来ていないそうです。
 
 
ここから湿らせた筆や指で少しずつ取って
唇に赤色の紅を注します。
ところがこの紅を何度も厚く、濃く塗り重ねて
下唇を玉虫色に発色させた
「笹紅」(ささべに) が流行しました。
 
ただ明治に入ると、海外から入ってきた
安価な化学染料に押されて多くの「紅屋」が
廃業してしまいました。